パリ2日目の朝が明けた
昨夜はいつまでも明るいので、今夏時間であることに気付いた
この時期は気分が高まったことを思い出す
これからそれを味わうことができるのかと思うと、心が躍る
さて、今朝目覚める時に浮かんできた考えは、次のようなものだった
日本にいる時(と言ってもまだ数日前までのことなのだが)の状態と明らかに違っている
自分では天空にいて観察していると思っていたが、日常や下界の要素が知らない間に大量に侵入していたことが見えてきた
天空だと思っていたところは、実は半分以上地上の世界だったのである
自分を取り巻いているのが、日本語であり、景色であり、人びとのものの捉え方のようなものであったりする
無意識の内に、このようなものの中に覆われているため、意識も外に開かれなくなる
そこでは自分に都合の良いような話が蔓延しているのである
当然のことだが、その馴染の空気のようなものがこちらに来ると消えていると今朝感じたのである
そして、この状態の違いは想像を超えるほど大きいのではないかということも
そんな状態で10年超の間生活していたとなると、その影響は計り知れないのではないかということが改めて想像できる
外国語にしてもそうである
日本では日本語の雲がどんよりと頭を覆っているためか、外国語が浮かぶことはなかった
そのため、例えば電話で英語を話すことも億劫になり、第一言葉が出て来なくなっていた
況やフランス語においてをやである
外国語を話すには、自分のまわりの環境から大きなジャンプをしなければならなくなっていたのだろう
日本語が自分のいるレベルにあるとすれば、外国語の場合は雲の上にでもあるような感じになっていたのである
第一、日本にいれば外国語など話す必要もないのだから
こちらに来てまだ1日だが、ジャンプしなければならない感覚は階段を一段上る程度に変わっている
実に不思議である
その昔仕事をしている時のひと月など、あっという間に過ぎ去ったという記憶しかない
この場でも触れてきたように、かなり前から時の流れが非常にゆったりしてきた
この感覚の変化は非常に重要であったと考えている
今回の滞在が終わった時、この点をどのように感じるのだろうか
期待しながら見守ることにしたい
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