パリは本日も快晴
嫌になると言えば、罰が当たるか
今日は一応週の初めになるので、気分が入れ替わるように感じられる
その状態のまま、このところの日課に当たることにした
まず、最近はお決まりになったカフェへ
そこで静かに飽きるまで事に当たる
途中、まだ幼稚園児だと思われるパリの子供たちが入ってきて姦しくなった
この年代から自分の主張をはっきりと言葉にすることを鍛えられている
親にしてみたら、特に鍛えているという意識はないのではないかと想像してはいるのだが、
一旦アパルトマンに戻り、先日モンパルナスで買った本に目を通す
フランス語はぼんやりとしか分からないが、分からないなりに数十ページ読んでみた
哲学の起源に関するもののようだが、古代ギリシア、紀元前5-4世紀よりもさらに遡る気配がある
それと同時に「哲学とは何か」という問いに向き合った書でもあるという
ドゥルーズ/ガタリも指摘しているようだが、この問いに関する書籍は意外に少ないと言っている
おそらく、それぞれの哲学者が自らの書を書かなければならないのだろう
最初の方に、フーコーが『真理の勇気』でも論じている、哲学にある「語る要素」と「生きる要素」のことが出てくる
この書についてはエッセイでもカフェでも取り上げたことがあるので、懐かしい
わたしは2006年暮のパリで、フーコーが尊敬するピエール・アドーからそのことを知り、哲学に入ることに抵抗がなくなったことを思い出した
当時はより劇的で、目の前がサーッと開けたという感じであった
そういう経験はそれまでとんとなかったので、何かが降りてきたのだろう
理論だけでは面白くないと思っていたのは間違いない
そして哲学にそれ以外の要素があることを知り、驚いたのだ
時を経てもその時の考えに変わりはなく、語ること、書くことが生きることとどこかで繋がっていなければやる価値はないと思ってやっている
今日の午後は期せずして、初心に返る時間となった
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