今日の午前中は、部屋と近くのカフェを往復しながら考えをまとめていた
朝の空気の中、カフェに座り考えを巡らすというのは、何ものにも代えがたい時間である
こちらに来てから、ヨーロッパの音楽をいろいろ聴くようになっている
先日も少し触れたが、こちらで彼らが演奏するのを聴く時、日本では感じられない何かを感じる
彼らにとっては身近だが、我々にとっては超えられない一線があるようなそんな領域にある芸術のような気がするのだ
この感覚は、年とともに深まってくるようである
逆に言うと、そういう認識の下で味わうというのも興味深いのではないだろうか
ところで先日、今回のパリ滞在はスローターダイクさんの講義を聴くために来たようなものだと書いた
この間、カンギレム関連のものにも反応することが少なくなかった
免疫論でその入り口に立ったからだろうか
カンギレムが若き日、リセの先生だったアランと共にオーギュスト・コントをしっかり読んでいたという
こういう繋がりが、興味を倍加する
また本日、カントを少し齧ってみた
余りにも偉大なものには近づくのを避ける性向があるためか、これまで敬遠してきた哲学者である
ところが、わたしの問題意識とも重なるところがあり、意外に面白いかも、と思わせてくれた
暫く様子を見ることにしたい
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