今回パリに出発する前には17年前から書き留めていた「パリメモ」と称するものを寝る前に読んでいた
昨夜、開かれたままになっているノートを見て思い出した
その気分ではなかったが、一応目を通すことにした
それは「パリメモ」⑧で、2008年12月ベルギーのオステンドを訪問した時のものであった
上の写真の女の子も今や立派な女性になっているはずの昔である
大学院にいる時にはほとんどすべてが蘇ってきたのだが、細かいところの記憶は薄れてきたことが分かった
当時はフランスに渡って2年目なので、マスター2年目でもあった
当然のことながら、メモワールをどうしようかということも考えていた
それ以上に、その頃から活動的生活(la vie active)と観想生活(la vie contemplative)の対比についての考察がある
エッセイや『免疫学者のパリ心景』でも触れているように、仕事をしている時には思考がされていなかったことに気づいたことが観想生活に入る根底にあったということである
一つのやり方として、活動的生活と観想生活を並行されることも考えられるが、それだけの容量がなかった
そのため、両者を別々にやるという方法を採ることになったという認識である
まさにその通りで、わたしにとってはこれが最善の道であったと今言えるだろう
おそらくこのような認識は、フランスに渡る前から熟していたものと思われる
メモの中に、所謂「科学哲学」と呼ばれる領域があるが、そこにおける問題意識を窮屈に感じるという言葉があった
一つの専門領域になると、そこでのやり方があり、その専門家を育成するための教育が行われることになる
わたしのような立場の人間には、それが専門的に過ぎ、窮屈に感じたのだろう
専門の枠に囚われない世界を構築できないかという願望が書かれていて驚いたが、それはその後も一貫してどこかに生き続けてきたようである
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