昨夜はウィトゲンシュタイン(1889-1951)の『哲学探究』を手に取った
読みはじめてすぐ、以下のような記述に出会った
他の人々が私の書物によって自分で考えずに済ませることを私は望まない。私が望むのは、それが可能だとして、人が自身で思考するよう私の書物が励ますことである。
これを読んだ時、この秋の『免疫から哲学としての科学へ』の合評会でわたしが発した言葉と重なっていることに気付く
わたしのメッセージは、この本の中に回答を求めるのではなく、この本で提起されている問題についてそれぞれが思考することを願っているというものであった
つまり、すべての解を教えてもらおうとする態度は哲学とは無縁であり、自らが立ち上がり考えることが哲学だを言いたかったのである
昨日の記事と繋がったと思いながら今朝テレビをつけると、3人の子供が次のような言葉を元気よく歌っているではないか
過去もなく 未来もない すべては永遠の今を過ぎゆくだけ
最後に、これがジェームズ・ジョイス(1882-1941)の言葉であることが紹介されていた
早速調べてみると、彼の言葉が出てきた
“There is not past, no future; everything flows in an eternal present.”
これは、最近身に沁みて感じるようになっている深い実感だったので驚いたのである
うまい具合に繋がるものだという思いとともに
同様のことは、トルストイ(1828-1910)も言っているらしいし、さらに言えば古代ギリシア人の考えの中にもあった
言ってみれば、人類に刻まれた一つの見方を示しているのだろう
実に、日の下に新しきものなし、なのか
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