今日はわたしの心にも響くキケロ(106-43 BC)の言葉に耳を傾けてみたい
キケロは対話篇『ホルテンシウス』の末尾で(観照的知を)讃えてつぎのように語る。
われわれが夜も昼も思考し、精神の鋭いまなざしである知性を研ぎ澄まし、いつか鈍くなることのないように用心し、つまりは哲学のうちに生きるならば、大きな希望がある。・・・われわれが永遠にして神的な魂をもつなら、魂がつねに自己固有の道に、つまり理性と探求への欲求のうちにあればあるほど、そして人間の悪徳や誤謬に引っ掛けられ巻き込まれることが少なければ少ないだけ魂にとって天への上昇と帰還はいっそう容易になるということを思いみるべきである。
アウグスティヌス『三位一体について』
人はたとえ真理の発見にまで到達することができなくとも、真理を探究する者は幸福であるという考えは私たちのキケロのものです。
彼が力を込めてつぎのように主張していたことを誰が知らないだろうか。すなわち人間によって認識されうるものはなにもなく、知者に残されていることはこの上ない細心の注意をもって為す真理の探究以外にはない。
アウグスティヌス『アカデメイア派駁論』
知性をはたらかすことと観照することから生じる楽しさこそ唯一の、すべてにまさる、生きることから生じる楽しさであり、楽しく生きることと真の喜びを感じることは、したがって哲学する人たちにのみ、あるいはすべての人たちにまさって彼らに属する。
キケロ『哲学のすすめ』
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