2025年3月6日木曜日

第12回カフェフィロPAWL開催される






















本日は、第12回カフェフィロPAWLにおいて拙著『免疫学者のパリ心景――新しい「知のエティック」を求めて』(医歯薬出版、2022)の朗読会 vol. 1 が開催された

まず、寒い中お運びいただき、議論に積極的に参加していただいた皆様に感謝したい

会のスタイルや運営は、プログラムにある通り、この本の編集者である医歯薬出版の岩永勇二氏にお任せした

驚いたのは、室内を暗転させ、灯りは本に取り付ける小さな読書灯だけというセッティングであった

詩的な内容の本では、このようなスタイルの朗読会が少なくないという

拙著が詩的な雰囲気を持つものであるという評価があったのだろうか

いずれにせよ、この状態で指定された箇所を読み進んだが、この環境が実に不思議な影響を及ぼしていた

読んでいるテクストには、その昔、全身で向かっていた歩みのエキスのようなものが書かれてある

そのため、その背後にあるものまで浮かび上がってきて、こみ上げてくるものがあった

あの暗闇で拙い読みを聴いていた皆様は、一体どのような印象を持たれたのだろうか

伺ってみたいものである


今日の話題は、なぜフランスで哲学だったのかという問いと、フランスに向かう前に刻印を残した二人の哲学者、ピエール・アドーとマルセル・コンシュについて触れた後、わたしが生きる上で非常に重要だったアリストテレスの「エネルゲイア」について考えるというものであった

エネルゲイアについては、この概念を知った後にそれを自らの生活に生かしたというのではなく、それまでの歩みの中で感じ取っていたことが実はエネルゲイアという状態だったという気付きであった

わたしが哲学に入ってからは、このような発見が相次いだと言っても過言ではないだろう

幸福にも深く関係すると考えているエネルゲイアという状態を、実際に経験されている方は意外に少なかった

忙しい仕事に打ち込む、コンシュ流に言えば「縮小された時間」に生きている場合には、それは難しいのかもしれない


また、哲学を体系の構築ではなく、世界の見方の変容と捉えている二人の哲学者が刻印を残したが、それはわたし自身がそのような性向を持った人間であることを示しているのかもしれない

アドーの著作は日本でも翻訳されるようになってきたが、コンシュに関しては未だ日の目を見ていない

現在、コンシュの翻訳を進めているところだが、リスキーなプロジェクトには見えるが、刊行を考える出版社が出てくることを願うばかりである


会の詳細については、近いうちに専用サイトに紹介する予定である

なお、朗読会の vol. 2 を第13回カフェフィロPAWLとして、11月に開催する方向で考えていきたい

次回も盛会であることを願うばかりである









































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