1)キネーシスはその行為自体が目的ではないが、エネルゲイアはそれ自身が目的であり、目的が行為の中に内在する
2)キネーシスの場合には現在の状態とその完了が乖離するが、エネルゲイアの場合には現在において完了してしまう
3)キネーシスは目的に至るまでは常に未完成だが、エネルゲイアはいつも完成され、完全である
4)キネーシスは時間の内にあるが、エネルゲイアは時間とは無縁である
5)キネーシスは「どこからどこまで」という条件に規定されるが、エネルゲイアにはそれがない
6)キネーシスには速い遅いがあるが、エネルゲイアには速さと遅さがない
つまり、エネルゲイアにおいては、今何かをやった瞬間に目的を達成してしまっているので、常に満たされた状態にいることができる
これこそ幸福と言ってもよいのではないだろうか
しかし、忙しく仕事に追われていると、この状態を経験できない
常に先にある目標に向かっているからだ
さらに、エネルゲイアの状態に入ると、自分が移動しているという感覚がなくなり、周りが勝手に動いていくように感じられるのである
つまり、どこに行くのにも、何をやるのにも、自分が前に向かって運動しているという感覚はなく、自分は今ここにいるだけで周りが動いてくれるので、精神的に全く疲れないのである
こう説明した時、何を呑気なことを言っているのか、信じられない、などという声も耳に入ったが、本当にそれが実感なのである
そこで今日の本題である
実はそこに、エネルゲイアと、エネルギーあるいはエネルギッシュとの深いつながりがあるのではないかと思えてきたのである
つまり、この状態に入ると、身体的にはどうか分からないが、精神的には何をやっても全く疲れないので、外から見るとエネルギッシュに見えるということになる
なぜなら、本人は何かをやった瞬間に常に完成し、常に満たされた状態にいるからであり、周りが勝手に動いて行ってくれるという感覚を生み出しているからである
この感覚はフランスに渡る数年前から自分のものになっており、フランスでそれがエネルゲイアであることを藤澤令夫氏の著作で知り、どんなことでもすでに考えられていることに驚いたのである
こうして振り返ると、アリストテレスのこの概念は、わたしの生活の根底を支えてきたキーコンセプトなっていたことが見えてくる
今回のシリーズの大発見(あるいは再発見)と言ってよいかもしれない
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