2025年3月27日木曜日

「科学の形而上学化」(MOS)のもう一つの側面について

































以下の考察を、サイファイ研ISHEのMOSのページにアップしたので、ここに転載したい


これまでMOSの方向性として強調してきたのは、科学が明らかにした成果について形而上学、歴史、神学などの視点を動員して省察する必要性であった。しかし、このような方向性には同時に、科学の営みそのものに対する批判的な視座も内包されている。それらを分析することは、これまで強調してきたMOSの営みが提示する現在の科学の範囲を超える「新しい科学」だけではなく、現在の科学が抱えている存在論的な問題点を炙り出し、それらを超克する「より緻密な科学」を創出する上で重要な貢献につながるはずである。その試みの概略をスケッチしておきたい。

まず、自然科学は価値中立的であり、形而上学とは一線を画しているという見方について考えてみたい。MOSの前提も、形而上学と決別したものとして科学を捉えるところにあった。しかし、実際にはどうであろうか。科学者が意識しているか否かは分からないが、自然科学を動かしている信念のようなもの(信仰とまでは言わないまでも)があるのではないだろうか。例えば、自然界は理性によって理解可能である、原因と結果から自然現象は説明可能であり、そこには法則性がある、それは数学的様式によって表現可能である、観察できるものが存在するものであり、観察可能なものだけを対象とする、など、科学には暗黙の前提があるように見える。

このような前提は、人類が歩む中で出来上がってきた歴史が刻まれた考え方である。例えば、ソクラテス以前の哲学者のヘラクレイトス(c.540-c.480 BC)はロゴス(理性・言葉・秩序)を世界の根本原理とし、ピタゴラス(582-496 BC)は「万物は数である」と考えていた。ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も「自然という書物は数学という言葉で書かれている」という見方を採っていた。これらは自然がどのように出来上がっているのかについての考え方を示す言葉であり、科学の前提・信念は科学そのものに内在する形而上学と言ってもよいのではないだろうか。 

このことは、意識されることが少ない科学の形而上学について、哲学的に省察することもMOSの大きな役割になるということを意味している。換言すれば、「科学の形而上学の形而上学化」(metaphysicalization of metaphysics of science: MOMOS)とでも言うべき試みになる。この形而上学化の過程においても哲学だけではなく、歴史、倫理、詩などを動員して当たることになる。具体的な問題として、量子論の確率的要素や非線形力学など必ずしも合理的には見えない自然が姿を現し、数式には表しきれない生命現象も明らかにされている。これらを問題にすることはすなわち、科学の暗黙の前提を問い直すことに繋がり、科学とはどういう営みなのか、さらに科学はどうあるべきなのかという根源的な思索へとわれわれを導くはずである。

このように、冒頭に掲げたMOSの2つの側面を追求することは、現在進行中の科学を批判的、発展的に認識するだけではなく、「形而上学的解析を含めた科学」という新しい科学の姿を模索する上でも重要なステップになるものと確信している。





 

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