2025年3月8日土曜日
第13回サイファイフォーラムFPSS、終わる
2025年3月6日木曜日
第12回カフェフィロPAWL開催される
2025年3月4日火曜日
コンシュ哲学を語る第11回ベルクソンカフェ終わる
2025年3月3日月曜日
春の会食終わる
春を迎えて恒例になっている学友との会食があった
今日は春らしい雰囲気になったが、外は寒かったようで、午後から白いものが降っていた
いつものことだが、他愛もないことを駄弁って時を貪ったという感じだろうか
それでよいのだ、というのが結論になるのだが、、
わたしにとっては久しぶりに沼の底から体を出した状態になったので、いろいろ話していたのではないだろうか
特に、このところ考えていた現世における問題なども含めて
学友は某国のビジネスマン指導者の考えには違和感を覚えているようで、最近ヨーロッパの指導者との違いが際立つようになったとの分析をされていた
その点は同意せざるを得ない
ここに来て、歴史の蓄積の差がじわじわと出てきているのだろうか
日本も根本にかえって考え直さなければならないのだが、考えるという行為がどこかに行っている状態なので、なかなか大変である
ところで、厳しい現実の中で生き残りをかけて戦っている人たちがいる一方、何のためになるのか分からないようなことに精を出しているように見えるわたしのような歩みはどう考えればよいのだろうか
ご両人ともやや呆れ顔のように見えたのは気のせいだろうか
2025年3月1日土曜日
春のカフェ/フォーラムを目前に控えて
今日は暖かな日和である
この冬に入る時には、これから寒さに耐えなければならないと暗い気持ちでいたが、想像以上に穏やかな冬となってくれた
今日そこから抜け出て春になったことを確信した
あと数日で「春」のカフェ/フォーラムシリーズが始まる
このようなアクセントが生活に入ると、我が日常の特徴が明確になる
かなり前から気づいているが、再度確認しておきたい
意識の面から言うと、すべての時間をほぼ完全に自分のものとしている
つまり、そのすべてが意識されているという状態だろうか
いろいろな刺激が入る普通の日常では、この状態は維持できない
その深さまで入ることができない
少なくとも自らの中はいつも静寂に包まれていなければならないからだ
もし今の意識状態を知らないとすれば、この違いに気づかずに終わる可能性が高い
生物学的に言えば、代謝が抑えられ、冬眠状態に近いように見える
この状態から立ち上がりを見せるのが、このシリーズである
これまでに醸成されてきたものを遥か下方に眺めながら、外界との接触に入ることになる
できるだけ濃厚な交換ができるようにしたいものである
どのような発見があるのか楽しみにしながら、この2週間を過ごすことになるだろう