2024年4月30日火曜日

ゲラ校正初日の感想















昨日のこと、5-6年前に作ったメガネのヒンジ部分のプラスチックがパリンといって折れてしまった

ほとんど力を加えていないので経年劣化なのか

早速メガネ屋さんに問い合わせたところ、同じ部品があるとのことでホッとした


さて、ゲラ校正だが、昨日は集中力が別のところに向かっていたので、プリントしたところで止めにした

ということで今日が初日なのだが、その感想を綴ってみたい

まず、日本語版は300ページ超だったが、英語版では160ページ程度と大幅に減っているのに驚いた

最初は、日本語の細かい言いまわしを簡潔にしたためなのかとも思ったが、それにしても違い過ぎる

暫くして(ということは、すぐにではなかったのだが)、プリントしたサイズが6x9インチになっていることに気づいた

最終的にそのまま反映されるのかどうかは分からないが、実際に手にしてみると、かなり大きな作りである

同時に、一面に文字が詰まっているという印象で厭になったが、逆に言うと、それだけの情報が目の前にあるのだから、より広い範囲を見渡せることになる

その意味では、全体を俯瞰した理解にも繋がるのではないかという気もしてきた

それと、他の人はどう感じるのか分からないが、英語で読んだ方が自分の考えがすんなり入ってくるような印象がある

また、ページ数が少ないということは、わたしのような読者には心理的によい効果を及ぼしそうである

いずれにしてもそれぞれ一長一短がありそうだ

今回はゆったりと本を読むような感覚で校正できればと考えている






2024年4月29日月曜日

Immunity: From Science to Philosophy のゲラ届く















今日も明るい日であった

季節と共に気分も春モードになっている

先日からある本を探しているのだが、まだ見つかっていない

カフェ/フォーラムに持って行ったものなので、戻すべきところは決まっていると思ったのだが、そうはなっていない

こういうことは稀ではなくなっているが、機会を改めて見直すと目の前にあったりする

今回はまだそういうことは起こっていない


ところで今日は気持ちが落ち着いていて、内的空間も広がっているように感じた

このような日は、これからに向けての道を思い描くのに向いていると思い、それを文章にすることにした

それが終わったところで読み直し、文字通り絵を描く予定であった

ところが、予想より早く拙著 Immunity のゲラが届き、上の計画は中断となった

今回の期限は2週間後となっている

最後なのでじっくり事に当たりたい






2024年4月28日日曜日

富岡鉄斎に乾杯!の朝



















今日の日美は、富岡鉄斎(1837-1924)であった

わたしもこうありたいと思わせてくれるような人生を送った先達の姿を見る思いであった

以前からそうは思っていたのだが、最近の感想は昔より少しは近づいているのではないかというものだ

もちろん、ほんの少しではあるのだが、、

座右銘は「万感の書を読み、万里の道を往く」だったそうだが、絵を描く(何をする)にも研究が大切だというようなことも言っていたようだ

年齢を重ねるほどに益々自由になっていったというその心に乾杯!という気分の日曜の朝である







2024年4月27日土曜日

積み重ねで閾値を超える?

































このところ、これからに向けてぼんやりと考えたり、本を読んだりしていた

その中にアリストテレス(384-322 BC)のものがあったが、その方法論に共通するところを見つけ、大いに刺激を受けた

最近の午前中の使い方は、何もせず、考えが自由に広がるようにしている

DMNが活性化するような状態ではないかと勝手に想像している

このような時に思いがけないことが浮かび上がってくるので、貴重な時間となっている

今朝は文章が繋がるように頭に浮かんできたので、観想を中断してメモすることに

こういう時のメモは手書きでやるが、今日はA4で4-5枚になった

前段の文章が浮かんできたところを譬えるとすれば、AIがスラスラと文章を打ち出すイメージと重なった

こういうことは以前にはなかったので、長年の目に見えない積み重ねが一つの閾値を超えるところに導いたのではないと、これも勝手に想像している

こういうことがいろいろな過程で表れてくるのではないかと期待されるが、どうだろうか











2024年4月23日火曜日

カント300歳、それから LinkedIn のこと


































昨日がカント(1724.4.22-1804.2.12)の300歳の誕生日だったようだ

その哲学に当たるのはこれからであるが、その人生を見てみたところ、後半生が充実している

知らなかったのだが、『純粋理性批判』を出したのが57歳で、『永遠平和のために』は71歳の時に刊行し、79歳で亡くなるまでコンスタントに仕事をしている

今で言えば、この年齢に20年は足さなければならないだろう

カントに肖ろうなどと考えると、大変なことになる



さて現実に戻って、先日から覗くようになったLinkedInでの本日の出来事について書いてみたい

拙著 Immunity の出版社Routledgeのサイトに行くと、自著のプロモーションのやり方について書いてあるところがある

その中に、LinkedInなどのSNSを効果的に使うようにとあったので、Xなどと併せてこれまで殆ど使っていなかったLinkedInも使うことにしたところだった

そこに拙著の宣伝を出したところ、早速香港の高校生からズームで話を聞きたいとのメッセージが入っていた

哲学に興味が湧き、特に科学との関係について知りたいとのことで、非常に積極的だ

その人次第だが、世界は狭くなっていることを実感させられる

一応、本を読んでからの方がその価値があるかどうか分かってよいのではないかと答えておいた

それからイランの研究者からは、最も重要な問いを3つ教えてほしいという難問が届いていた

日本人からは出てきそうにないような言葉が出てくるので刺戟的ではある

まだ数日の経験だが、ヘビーな内容が行き来するところのようである

これまで反射的に捨てていたLinkedInからのメールをすべて読むようになっている

変われば変わるものである












2024年4月22日月曜日

ゲーテのヘルダー評

































その人のことをあまり知らずにエッセイなどに名前を引用することがあった

振り返れば多くはドイツの文化人で、その後再会してより詳しく知ることになった

その中には、例えばフリードリヒ・シュライアマハー(1768-1834)やヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)などがいる

ゲーテ(1749-1832)の自伝『詩と真実』を読んでいると、ヘルダーの魅力に惹かれる様子が書かれている

今やゲーテに比べると知名度は比べ物にならないが、当時はヘルダーが5歳年長で幅広い領域で活躍していた

ゲーテも指摘しているように、若い時の5歳違いは大した差であった

最初の出会いの印象を次のように語っている

彼は如才ないといった人ではなかったが、その態度にはなにかもの柔らかなところがあり、礼儀正しく上品な人であった。丸顔、秀でた額、いくらかずんぐりした鼻、少しめくれた、しかしきわめて個性的な感じのいい愛らしい口。黒い眉と漆黒の目。その一方はいつも炎症を起こして赤くなっていたが、目には光があった。彼はなにかと質問して、私のことや私の境遇を知ろうとした。そして私はますます強く彼の魅力にとらえられた。

ヘルダーはきわめて好ましい、魅力ある、才気豊かな人であったが、他面、ややもすれば不快な面をあらわにする人でもあった。このように人を惹き寄せたり撥ねつけたりすることは、誰もが生来もっているものであって、程度に差があり、それの現れる頻度に違いがあるに過ぎない。こうした性情を真に克服できる人は稀であり、多くは克服したようなふりをしているだけのことである。


そしてヘルダーが後年成し遂げたことを思い、この時彼の中にはどのような変化が起こっていたのかにゲーテは思いを馳せる

このような精神のうちに、いかなる動きがあったか、このような資性のうちに、いかなる醗酵があったのかは、到底とらえることも述べることもできるものではない。しかし、彼がのちに多年にわたってつとめ、成し遂げたことを考えてみるとき、彼のひそかな努力が非常なものであったことは、容易に察せられるのである。

 (山崎章甫訳)











2024年4月21日日曜日

T・S・エリオットの文化論から


















T・S・エリオット(1888-1965)の文化についての考察(深瀬基寛訳)を読んでいたら、いくつか目に付いたところがあったのでメモしておきたい

まず、エピグラフに「絶対権力は絶対的に腐敗する」で有名なジョン・アクトン(1834-1902)の、わたしの心とも響き合う次の言葉が出てきた

わたしは思う。われわれの研究はほとんど無目的というに近いものでなくてはならない。研究は数学とひとしく純潔の精神を以って追いかけられることを願う。ーーアクトン  

I think our studies ought to be all but purposeless. They want to be pursued with chastity like mathematics. — Acton


それからこういう一文もあった

最初の重要な主張は、いかなる文化も何等かの宗教を伴わずしては出現もしなかったし発展もしなかったということであります。

あるいは、70年以上経った今でも突き刺さる言葉も出てくる

われわれ自身の時代が衰頽の時代であるということ、また、文化の水準が五十年前よりは下がっているということを或る程度の自信を以て主張することができます。またこの衰頽の徴候が人間活動のあらゆる分野に見えていることを断言し得るのであります。文化の頽廃がさらに悪化しないという理由も考えられないし、文化を全然もたなくなるであろうと断言できる、相当長期間にわたる一つの時代を予見し得ないという理由もまたないのであります。

「カルチュア」を個人、集団・階級、もしくは社会全体の3つのレベルにおける発展として考え、次のように言っている

マシュー・アーノルド(1822-1888)は第一義的に、個人と個人の目指すべき「完成」とを問題にしています。・・・アーノルドの「カルチュア」なるものが近代の読者にとって何となく手薄い印象を伝えるゆえんは、その幾分は彼の描いてみせた風景に社会的背景の欠けていることに基づくのであります。

これは、先日のSHE札幌で取り上げたプラトン(427-347 BC)の向上道と向下道とも関連するのように感じた 

それから「文化人」についてのコメントもある

人々はいつもみずからを一芸に達するゆえを以て教養人と考えたがります。事実は彼らは他の諸々の技能に欠くるばかりでなく、彼らの欠くところの技能に目を塞いでいるのであります。いかなる種類の芸術家も、たとえきわめて偉大な芸術家にしても、ただその理由のみによって教養人であるということはできません、芸術家というものはその専業以外の芸術に対してしばしば無感覚であるばかりでなく、時にその起居動作は甚だ粗暴であり、知的能力において甚だ貧弱であります。文化に貢献する人間は、彼の貢献がいかに重要であるにもしろ、必ずしも「文化人」ではありません。

 



 


2024年4月19日金曜日

キェルケゴールの声を聴く































今日は、キェルケゴール(1813-1855)のアドバイスを聴いてみたい

ひとつの書物を書こうとする者が、自分の書こうとしている事柄に関していろいろと思い煩うということは、結構なことだと、私は思う。同じ事柄に関してこれまで書かれたものを、できるだけ知ろうと努めることも、悪くはない。その際もしも彼が、その事柄のこの乃至はあの部分を徹底的に申し分なく論じ尽くしているような人間に出会いでもすることがあったら、歓喜して然るべきであろう。・・・以上のことを、ひと知れず、そうして恋する者の熱情を傾けて、成し遂げたとすれば、もうそれ以上何も必要はない、早速自分の本を書かれたらよろしかろう、——鳥がその歌を歌うように。誰かがそれから利益をえ、それに喜びを見出すことでもあれば、ますます結構である。くよくよせずに遠慮なくそれを出版されて然るべきであろう、——ただし余輩によって一切が決着せしめられたとか、地上一切の世代はこの本によって祝福を与えられるであろうなどと勿体ぶられることは御無用である。それぞれの世代はそれぞれ自分の課題をもっているわけなのであるから、われこそは先行のものにとっても後続のものにとっても一切であらねばならぬなどと途方もない努力をされる必要はさらさらない。世代のなかのそれぞれの個人もまた、それぞれの日のように、それぞれ特別の苦労を担っている、だから各自自分自身のことを思い煩うだけでも精一ぱいなのである。なにも君主のような深憂の面持ちで全世界を抱擁される必要もなければ、本書とともに新紀元と新時代が画されねばならぬなどと意気込まれる必要もない。況んや最新流行の型にならって、空虚な勿体ぶった約束をされたり、広いさきを見透した自分のこの示唆にこそ将来性があるかのように装われたり、いかがわしい値打ちのものをこれは保証つきだと請合ったりされるようなことは、御無用であろう。広い肩幅をもっているからといって、誰でもがアトラスであるわけでもなければ、また世界を担ったせいでそういう肩を与えられたわけでもない。「主よ、主よ、」と呼ばわる誰もが、だからといって天国にはいるわけでもない。全世界のことはひき受けたと名のりでるところの誰もが、だからといって自己自身に対して責任をもちうるような信頼のおける人間だと限ったわけのものでもない。「ブラヴォ」を叫び「万歳」を口にする誰もが、だからといって自己自身と自己の歎賞の意味とを理解していると限ったわけのものでもないのである。

斎藤信治訳) 

 












2024年4月17日水曜日

「作るのではなく、生まれいづるのを待つ」再び




















月曜に拙著 Immunity の原稿校正が終わった

まだゲラ校正は残っているのだが、どこか一段落したような気持ちになった

ということで、昨日は縛りのない状態で考えを巡らせていた

これまでにいろいろなアイディアが生まれているが、重点を置いて考えていきたいことが浮かび上がってきた

その時々でピンとくるものを考えていくことになるのだろうが、当面の中心が見えてきたということになる

わたしのやり方は、こちらが積極的に働きかけて何かについて纏め上げるというのではない

あくまでも考えを重ねて行った先で、自然に生まれいづるのを待つというものである

そのため、昨日固まってきたものがいつ実を結ぶのかは分からない

あるいは、他のものの方が早く花を咲かせるかもしれない

あるいはまた、すべてが萎れてしまうかもしれない

それが面白いところだとも言えるだろう

以前に関連したテーマについて書いているので、以下に貼り付けておきたい


 作るのではなく、生まれいづるのを待つ、あるいはネガティブ・ケイパビリティ再び

 (医学のあゆみ 257: 1187-1191, 2016)








2024年4月15日月曜日

拙著 Immunity の編集作業で分業の実態を知る




長いトンネルから抜け出したところである

1週間という期限が付いていた Immunity: From Science to Philosophy の原稿校正が終わり、担当者に送ったところだ

いつものことだが、最初その中に入るのに時間がかかった

しかし、ゴールが見えてきたと思った昨日あたりから元気になり、今日はまずまずといったところだろうか

このような作業の時は一定の時間をそれにかけなければ終わらないので耐えるしかないのだが、それが難しい

どうしても終わらせようという気持が強くなるからだ

ここでのコツは、その場の景色を楽しむようにすることだろうか

すべては「いま・ここ」に行き着くのである

いずれにせよ、予定通り終わらせることができたのは幸いであった

ただ、今回もいろいろな問題を発見したので、まだ何かあるのではないかという懸念は残る

ゲラの段階で万全を期したいものである


今回の本を作る過程を見ていて、日本との違いが明らかになってきた

個人的な観察を書いてみたい

海外の出版社の場合、Book Proposal という形で原稿を広く募集している

そのため、世界中から送られてくる多数の提案書を読まなければならない

この段階でどれを出版するのかを決める編集者がいる

良さそうだと判断されると、外部の専門家の評価に回される

そこでも問題がなければ、別の編集者が本をどのような作りにするのかを検討する

出版社の様式に合わせた調整が行われ、表紙までがこの段階で決ることを今回知り、驚いた

日本の場合、最後のゲラ校正のあたりで決められていたからである

ここで様式が決まると第3段階のコピーエディティングに入るが、これは別会社が担当している

最初は原稿の校正があり、それが終わると最終的なゲラ作成に入る

この前段が今日終わったことになり、後段のゲラが届くのを待つ状態に入った

それが出来上がるのは、来月とのことであった


このように、向こうの出版社は3段階の編集作業が分業になっている

日本の場合は全過程を一人の編集者が担当するので大変そうである

その一方で、何かをこの手で作り上げるという充実感はより強くなるのではないかとも想像される

この違いはどこから来るのだろうか

単に扱う量が増えてくると分業にせざるを得ないということなのだろうか







2024年4月9日火曜日

サイファイカフェSHE札幌のまとめを終え、拙著 Immunity の校正が始まる















昨日はたっぷりと一日かけて、4月6日(土)に開催されたサイファイカフェSHE札幌のまとめを考えていた

最終的にはかなり長いものになったが、興味深い読み物になっていると思う

以下のページを覗いていただければ幸いである

 サイファイカフェ SHE 札幌: 11 見方・生き方(プラトン)


そして今朝目覚めると、8月に出る予定の拙著 Immunity: From Science to Philosophy の校正原稿が届いていた

予定通りの到着である

まだ詳しく見ていないのでどのようなことになるのかは分からない

ただ、1週間しか余裕はなさそうなので、これに集中するしかないだろう







2024年4月7日日曜日

春のカフェ/フォーラムシリーズが終わり、"J'observe donc je suis" へ

























昨日で、春のカフェ/フォーラムシリーズが終わり、一段落したところだ

かなり密度の濃い会が続いたような印象が強い

自分では気づかないが、これまでの年月が主宰者と同時に参加者にも影響を与えている可能性がある

これからも注意深く観察しながら現在地を確認し、新しい方向性も模索していきたいものである

これまでと変わらぬご理解とご支援をお願いいたしたい



ところで、今週あたりから免疫論の英語版 Immunity: From Science to Philosophy の校正が始まるのではないかと想像している

当分はそれを軸に回るものと思われる

初めての経験なので、こちらも注意深く観察していきたい

そう言えば、わたしの昔の devise は "J'observe donc je suis" (我観察す、故に我あり)であった












2024年4月6日土曜日

第11回サイファイカフェSHE札幌でプラトン哲学を振り返る





本日「プラトン哲学からものの見方、生き方を考える」をテーマに、第11回のサイファイカフェSHE札幌が開催された

参加者は4名であったが、内2名は初めての方であった

新しく参加された方が拙著を詳しく読まれていることに驚くと同時に、サイファイ研究所ISHEの活動についても理解されていることを知り、有難く思った

少しずつではあるが、同好の士が増えるのは喜ばしいことである


今日のプログラムは、ヘラクレイトス(c. 540-c.480 BC)の哲学を参照しながら対話篇『饗宴』と『パイドン』を読み、現象界の背後にある真の世界(プラトン流に言えばイデアの世界)を意識してものを観ることの意義と、そういう観方をすること自体が人間の生き方として意味を持ってくるという認識について語り合うというものであった

さらに、真なる世界に迫った後には、その世界を現象界に浸りきっている人たちに伝えることが重要になるという考え方についても議論した

最後に、我々はいかに生きるべきなのかという問題について、わたしの考えを提示した後に意見交換をした

新しい視点が加わり、豊かな時間となったのではないだろうか

それが会の終了後にも継続したことは言うまでもない

会の詳細については、近いうちにサイトに掲載する予定である

秋に予定されている次回も再び議論が広がることを願うばかりである






















2024年4月4日木曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(29)政治綱領(11)
































ゴルギアス』におけるカリクレス(5th century BC)の発言を引用しておこう
法は多数の民衆が作るのだ。そして民衆をなすのは主として弱者である。民衆は法を作る・・・自分と自分たちの利益を守るために。そして民衆は、より強い者が、・・・つまり、自分たちよりも優勢な他の者たちが法を作ることを押さえ込むのだ・・・民衆は、ある者が隣人に優越しようとするならば、それを「不正」と名づける。かれらは自分たちが劣っていることを知っているから、言わせてもらうが、平等がえられるなら、それで大喜びなのだ。

ここには法の下での人間の平等、個人主義そして不正からの保護というリュコフロンの理論のすべての要素が見られる


国家』におけるグラウコンは次のように言っている

わたくしの主題は正義の起源でして、正義とは、本当はどんなものなのかということです。本性上、他人に不正を加えることが立派なのであり、自らが不正をこうむることが悪いことであると主張する人がいます。彼らは、不正をこうむったことで受けた害悪は、それを加えた者たちが得る利益よりもはるかに大きいと考えるのです。ですから当分、人間は互いに不正を加えあい、そこから当然のこととして不正をこうむることになるでしょう。彼らはそれら二つを十二分に味わうことでしょう。つまるところ、不正から身を守るほど、また他人に喜んで不正を加えられるほど十分に強くない者は、相互に契約を結び、お互いにもはや不正を加えることもこうむることもないようにすべきであり、それがためになることを見出すのです。このような次第で法が導入されたのです・・・そしてこれが、下の理論によれば、正義の本性であり起源なのです。

これは『ゴルギアス』におけるカリクレスの発言と酷似している


以下、ポパー(1902-1994)のまとめである

プラトンの正義論は、平等の理念や個人主義的で保護主義的な傾向を否認し、全体主義的な道徳論を展開することで部族の要求を回復しようとする意識的な試みであった

また、新しい人道主義的道徳にも影響を受けていたので、法の下での人間の平等理論に対しては議論することを避けた

彼は、国家の安定性を維持するためには階級的特権が必要であると主張したが、それが正義の本質なのである

つまり、正義とは、国家の力、健全性、安定性に役立つものであるという、現代の全体主義的定義(我が国、我が階級、我が党の力のためになるものが正義)と酷似した論証に依拠している

 これで「プラトンの呪縛」の上巻を読み終えたことになる










2024年4月3日水曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(28)政治綱領(10)































本日、快晴

数日前、当面考えていくべきことがいくつかの塊になり、頭の中がスッキリした瞬間を経験した

そして本日、そこにはなかったことが面白そうに思えて来て、可能性があるのかどうかを検討することにした

その前に、日課となってしまったポパー(1902-1994)によるプラトン論をやっておきたい



保護主義的な国家論は、ソフィストのゴルギアス(483-376 BC)の弟子リュコフロンによって初めて唱えられた

彼は生まれついての特権を唱える理論を攻撃した

アリストテレス(384-322 BC)によれば、リュコフロンは法律を「人間が相互に正義を保証し合う」ための契約と考えた

また、法律には市民を善良にしたり邪悪にする力があるとは考えなかった

リュコフロンは、国家は市民を不正義の行為から保護するための道具であると見做した

ここには、社会契約の観点から国家の歴史的起源を語るヒストリシズムはなく、あるのは国家の目的だけである

プラトンはリュコフロン理論をよく知っており、最初は『ゴルギアス』においてカリクレス(5th century BC)が、後には『国家』においてグラウコンが同一の理論を説明している











2024年4月2日火曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(27)政治綱領(9)
































さて、本日もポパー(1902-1994)によるプラトン論である

ここのところ、議論が少々しつこく感じられるようになって来た

同じことをこれでもかという調子で繰り返している


プラトン427-347 BC)によれば、善とは、道徳についての集団主義的な、部族に根を張った、全体主義的な理論である

これを国際関係で見れば、国家が強力であればその行為に不正はなく、自国民に対してあらゆる某直行為を成し得ることになるとポパーは言う

国家という大きな機械仕掛けの中において、その歯車は2つの方法で徳を示すことができる

第一は、歯車の大きさや形にあった課題に適合すること

第二は、歯車は正しい場所にいて、その場を保持すること

これらは自らの持ち場を固守するという徳である

そして、それが全体の秩序ある徳に適合するという普遍的な徳を、プラトンは正義と呼んだのである


ただプラトンは、機械仕掛けのように動く集団主義を主張するだけでは、読者の心に届かないと考えた

その理論を明確に述べるには、政治的「要求」あるいは政治的「提案」の言葉を使う必要がある

国家とは何か、その真の本性は何かというような本質主義的な問いに答えてはならない

あるいは国家はどのように成立したのか、政治的義務の根源は何かというようなヒストリシズム的問題も同様である

ここで問われるべきは、我々は国家に何を要求するのか、国家の法的義務として何を要求するのかということである

換言すれば、なぜ我々は国家なき無政府状態における生活よりも、秩序づけられた国家における生活を選ぶのか、である


この問いに対する人道主義者の答えは、国家に要求するのは自分に対するだけではなく、他の人々に対する保護であるとなるだろう

現状は、暴力ではなく、法に基づく道を通じて、妥協と決定を通じで変革されるべきであるという考えである

同時に、攻撃からの自己防衛を国家が支援してくれることを望むとしたら、必要限度を超えることなく平等に市民の自由を制限することを受け入れる用意がある

ポパーはこの国家観を保護主義を名づける

ここで言いたいことは、自由放任主義と呼ばれる厳格な非干渉政策を採用しないということだという

リベラリズムと国家による介入とは矛盾するものではなく、自由は国家による保証がなければ不可能である

これはあくまでも政治的な要請であり提案であって、国家の成立についての歴史的な主張でも国家の本来的な本性について語るものでもない


保護主義に対する批判も見られる

国家には、動物的生を全うする人たちを維持するため以上のものがあるという主張である

この批判者には二つの政治的要求がある

第一に、国家を崇拝の対象にしようとしていること

第二に、国家の役人は市民の自由を保護するよりは、市民の道徳的生活を規制するために権力を用いるべきだということ

これに対して、もしこれが実現したら個人の道徳的責任は破壊されることになる

さらに、国家の道徳は市民のものよりも水準が低くなるので、むしろ市民が国家の道徳を規制することの方が望ましいという反論が可能だという










2024年4月1日月曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(26)政治綱領(8)































新しい月が始まった

昨日の就寝前、もう17年前になる2007年から始めたパリ生活のメモに手が伸びた

通称「パリメモ」で60冊を超える

これまで何度も読み直そうとした

そして、メモの内容をさらにメモするという「メタメモ」とでも言うべきものを作ろうとしたのである

しかし、途中で面倒くさくなったのか、いつも頓挫した

こういう経験があったので、昨日はただ読むだけにした

そのメモは、2008年秋のものだった

忘れていたこともあるが、それは記憶の中には残っていることをいつものように確認していた

人間の持つ驚異の記憶容量には圧倒されるばかりである

その中に、渡仏2年目にして将来に向けてのぼんやりとしたプランが書かれているのには驚いた

そしてその9年後には実現していたのであった

時の流れの中にいろいろなことを関係づけるのは面白いものである

これまで何度も挫折したこの試み、今回はひょっとすると続くのではないか

そんな感触を得た読みであった

それが真なる感触なのか、これまで通り見守るしかないのは言うまでもない



さて今日も、ポパー1902-1994)によるプラトン論である

これまで見てきたのは、人道主義に基づく倫理が平等の原理に基づく個人主義的な捉え方を要求することである

ところで、人道主義は国家をどう捉え、プラトン的国家論の持つ全体主義的理論は個人の倫理にどう適用されるのだろうか

まず、後者について検討したい

プラトンの考えには、次のような特徴があった

1)厳格なカースト制を緩めるならば、国家は没落せざるを得ないという社会学的な仮定

2)国家に害を及ぼすすべてのものは不正である

3)正義はその反対である

プラトンの関心は、それが国家にとって害になるか否かであり、害になるものは道徳的に腐敗し不正であるという考え方である

プラトンが承認するのは国家の利益であり、それを促進するものは善であり、徳であり、正義なのである

これは集団主義的、政治的な功利主義だとポパーは言う