2024年4月1日月曜日

ポパーによる「プラトンの呪縛」(26)政治綱領(8)































新しい月が始まった

昨日の就寝前、もう17年前になる2007年から始めたパリ生活のメモに手が伸びた

通称「パリメモ」で60冊を超える

これまで何度も読み直そうとした

そして、メモの内容をさらにメモするという「メタメモ」とでも言うべきものを作ろうとしたのである

しかし、途中で面倒くさくなったのか、いつも頓挫した

こういう経験があったので、昨日はただ読むだけにした

そのメモは、2008年秋のものだった

忘れていたこともあるが、それは記憶の中には残っていることをいつものように確認していた

人間の持つ驚異の記憶容量には圧倒されるばかりである

その中に、渡仏2年目にして将来に向けてのぼんやりとしたプランが書かれているのには驚いた

そしてその9年後には実現していたのであった

時の流れの中にいろいろなことを関係づけるのは面白いものである

これまで何度も挫折したこの試み、今回はひょっとすると続くのではないか

そんな感触を得た読みであった

それが真なる感触なのか、これまで通り見守るしかないのは言うまでもない



さて今日も、ポパー1902-1994)によるプラトン論である

これまで見てきたのは、人道主義に基づく倫理が平等の原理に基づく個人主義的な捉え方を要求することである

ところで、人道主義は国家をどう捉え、プラトン的国家論の持つ全体主義的理論は個人の倫理にどう適用されるのだろうか

まず、後者について検討したい

プラトンの考えには、次のような特徴があった

1)厳格なカースト制を緩めるならば、国家は没落せざるを得ないという社会学的な仮定

2)国家に害を及ぼすすべてのものは不正である

3)正義はその反対である

プラトンの関心は、それが国家にとって害になるか否かであり、害になるものは道徳的に腐敗し不正であるという考え方である

プラトンが承認するのは国家の利益であり、それを促進するものは善であり、徳であり、正義なのである

これは集団主義的、政治的な功利主義だとポパーは言う












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