2025年12月21日日曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(14)

































今年も残り少なくなってきた、というのが一般的な言い方になるだろう

しかし、これまでも書いている通り、一日、一週間がどんどん長くなっているので、相当の物が詰まっているのではないかと想像している

今日は静かに振り返りの時を過ごしていた

そこで思い出したのが、2か月前にはアンバシェの『自然の哲学』を読んでいたことである


ここで再開することにした

前回の記事では、近代の自然哲学と自然学、自然主義、実証主義を論じた第2章の第1節「自然哲学と近代自然学」を取り上げた

今回は第2章、第2節「自然哲学と自然主義者」について考えたい



近代的な自然学とアリストテレス(384-322 BC)の自然哲学の亀裂は早くから現れていたという

しかし、生物学などの領域では、ペリパトス派の思想から解放されるのにかなりの時間を要した

例えば、ビュフォン(1707-1788)は次のようなことを書いている
自然は一つの事物ではない。なぜなら、この事物はすべてであろうから。自然は一つの存在ではない。なぜなら、この存在は神であろうから。むしろ自然は、すべてを抱擁し、すべてに生命をあたえ、第一存在の力にしたがいながらその秩序によってしか動きはじめず、またその協力と同意によってしか行動しない生きた巨大な力である、と考えることができる。

18世紀を代表する科学者が、アリストテレスを彷彿とさせる思想を展開している

少し遅れて、ラマルク(1744-1829)もまたアリストテレス流の生命論を強調し、「自然の力」を喚起する

これはシェリング(1775-1854)やベルクソン(1859-1941)を予告しているかのようである

そして、アリストテレスの伝統との真の決別が起こるのは、現代になってからだという












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