今日は、2-3-2「自然哲学と諸科学の実証哲学」を読む
オーギュスト・コント(1798-1857)の自然哲学は、自然学や自然研究を構成する5~6の基礎科学の総体によって形作られる
科学の哲学は、これらの学問の整理や分類の原理以外の何ものでもない
科学の特徴として、極端な専門化の結果生まれる「細部の精神」があるのに対し、哲学的思考に特有な徴は「全体の精神」である
したがって、科学の哲学は最初、自然的・具体的な諸科学を除外する
コントがやったことは、哲学から技術者が取り扱う応用科学や技術を切り離すだけではなく、具体的・記述的とされる自然科学をも遠ざけたのである
彼はこう言っている
あらゆる種類の現象に関して二種類の自然科学を区別しなければならない。一つは抽象的・一般的なもので、考えうるすべての場合を考慮して、様々な段階の現象を支配している法則の発見を目的とする。 もう一つは個別的・具体的・記述的で、ときには厳密な意味における自然科学の名をもって呼ばれるものであるが、その法則をいろいろな存在者の事実上の歴史に適用する。
つまりコントによれば、科学の哲学が注目するのは第一のカテゴリーの法則だけであり、自然科学はその法則をもとに個別の事象の解明に当たるということだろうか
コントの科学の哲学は、自然を機械に還元するデカルト(1596-1650)の理想に与するものではない
科学の哲学は、自然の多様性については遥かに意識的で、それぞれの基礎的学問に自然の一領域を帰属させている
そのため、科学の哲学が最上位にあり、他の領域による侵入を恐れる必要がなくなる
ところで、コントは単純なものから複雑なものへと絶えず取り組んでゆかねばならないという考えに反発している
生理学や社会学のような科学においては、全体から諸部分へ向かう方が適していると考えているようなのである
数学者がいたるところで分析と抽象を繰り返す百科全書的体系の主権を取り上げ、それを社会学者に委ねようとする
コントが見るところ、社会学は、知の構築物のあらゆる次元において自然の観念の「実証主義的」等価物である真の組織的同意を優位に立たせるのに最も適しているという
これは何を言っているのだろうか
実証主義的段階における自然に関する知は、神学的、形而上学的で抽象的な観念が力を及ぼすものではなく、全体において部分が調和しながら(普遍的同意=consensus universel を得ながら)動いているものとして捉える必要があり、社会学はそれに適しているという考えになるのだろうか
もしそうであれば、デカルトの機械論(還元論)に対して、実証主義をもとにした全体論を唱えるコントが見えてくるのだが、、

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