2025年12月27日土曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(20)
































今日から第3章「近代における自然の哲学の諸特徴」に入る

近代の科学者が「自然哲学」という言葉を聞くと困惑を覚えるが、同様のことはこの領域の哲学者にも見られるという

ただし、ドイツロマン主義者だけはその内容を熟知していたようである

例えば、シェリング(1775-1854)はこの学問に多くの試論を書いている

ショーペンハウアー(1788-1860)の『意志と表象としての世界』もまた、生きようとする意志の宇宙的経験があらゆるものことの源泉として現れるという意味において、自然の哲学を構成している

ヘーゲル(1770-1831)においては、『哲学的諸学のエンチクロペディー』の中で、論理学と精神哲学の間に自然哲学が並んでいる

さらに、ライプニッツ(1646-1716)も科学者の機械論に立ち向かう自然哲学を書いているので、自然の哲学者の一人になる

彼はこう書いている
私は現代人に理ありとすることにかけてはいささかもやぶさかではないが、私の見るかぎり、彼らはあまりにも遠くへ改革をおしすすめたために、自然の尊厳について十分に偉大な観念をもたなかった

ジョージ・バークリー(1685-1753)も、数学者と物理学者の抽象的な合理主義に対して敵意を隠さず、 知覚の感覚的・直観的所与を自然の本当の言葉を生むべきものと解釈している

ベルクソン(1859-1941)は、当時けなされていた「自然の哲学」の代わりに「形而上学」という言葉を使っているが、本当の方向性は「自然の哲学」にあったとされている

これらの学説が近代の自然の哲学を構成するものとして、その特徴を探究するのが本章の目的のようである
















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