2025年12月22日月曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(15)

































今日は、第2章、第2節「自然哲学と自然主義者」の第1項「自然の秩序の表象の探究」を読むことにしたい

アリストテレス(384-322 BC)は、人間を比較の起点を見なして「存在の階梯」(scala naturæ)を作りあげた


その後も、同様の階梯(chain of being)が考案されたが、基本的には、一番下に鉱物が置かれ、植物、動物、そして最上位に人類が配置された

18世紀に至っても、スイスの博物学者シャルル・ボネ(1720-1793)は左図のような分類を提案している

下から見ていくと、石、植物、昆虫、貝、蛇、魚、鳥、四足類、そして最上位には人類が並んでいる

近代科学(物理学、天文学)において古代の世界観が拭い去られた時にも、生物哲学はアリストテレス主義に何ら批判を加えなかった

新しい合理精神が自然科学の中に入ると、存在(自然)の階梯という古代の形而上学的見方は、自然の体系に移行するようになる

自然をわれわれに晒された形相の階層として考察するのではなく、それらの形相を結び付けている分類体系を発見するようになる

リンネ(1707-1778)は、植物の部分の数、形態、比例、位置というような性質の中に、植物を区別するのに適したものを見出した

例えば、雄蕊だけを見ることにより、24種の分類に成功した

しかし、このやり方は古代の自然主義的方法によく似た純粋に記述的な方法を取っているビュフォン(1707-1788)のような者たちを激昂させた

このような対立は、キュヴィエ(1769-1832)の不変説とラマルク(1744-1829)の変移説の対立を予感させるものである

ダーウィン(1809-1882)は、注意深くこう書いている

「若干の優れた著者たちは、すべての種がそれぞれ独立に創造されたという仮説に十分満足しているようである。私の考えでは、造物主によって物質に課せられた法則について我々の知っていることは、地球の過去および現在の居住者の誕生と滅亡が二次的原因の結果であるという仮説と、もっともよく合致するように思われる。」

ここで二次的原因と言っているのは自然のメカニズムのことで、ダーウィンはさらにこう言っている

「人工的選択(淘汰)によれば、人間は自分に有益ないくつかの方向に、自然によって与えられる継起的変異を積み重ねるだけであるの対し、自然選択によると、有益な個体的変異の保持と有害な変異の除去を保証してくれるのは自然そのものである。」

人工的な選択が狭い範囲の目的しか達し得ないのに対し、自然選択では個体の生存(コナトゥス)という長い時間軸における自然の創造性が作用しているということだろう

ただ、このような自然選択の持つ力は、擬人的な思想を誘発しかねないので、ダーウィンはこう釘を刺している

「自然というときに私が理解するのはただ、数多くの自然的法則の協働と複雑な結果だけである。」

クロード・ベルナール(1813-1878)が生気論を攻撃した時に使った論理と同じである

こうして、自然と機械論が合体され、世界の物理化が進むことになる


 

 









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