3-3-4「ヘーゲルの哲学における自然と歴史」を読み、第3章、第3節を終えたい
シェリング(1775-1854)は自然の創造的自発性を喚起したが、それは美的直観に極めて近い
彼は、自然の生産的過程と、精神がもろもろの表象を生み出す過程との間に完全な同一性を見た
後者における表象は、外部からではなく、内部からくるものである
自然の観念は、そこに外から来る目的性を導入する時、破壊される
「わたしが自然をわたし自身の生と同様に理解できるのは、わたしを自然と同一にする場合に限られる」ということになる
他方、ヘーゲル(1770-1831)はシェリング同様、芸術作品の精神的形式が自然的形式より遥かに優れていると判断する時でも、ギリシア人から受け継いだ人為主義に根底から従おうとはしない
換言すれば、両者とも自然に対する芸術作品の優位性は認めるが、加工されていない自然は美ではなく、そこに人間の精神が働きかけ精神的形式にしたものが優れているとする古代ギリシアの考え方に完全に合意していたわけではない
シェリングの場合、目的性は自然の本質を表現しているが、そこには外部からの人為ではなく、内部からの働きかけが見られなければならない
自然と生命のカテゴリーは至上である
これに対してヘーゲルは、自然が直接的に存在する第一の原理として現れるのは、最初外的で、ついで感覚的意識にとってでしかないと考える
精神の生命が脆弱であるため自然は外化されたままである
有機的自然は歴史を持たないとヘーゲルは言う
ここに、創造性を持った生きた主体としての自然(能産的自然)を見ていたシェリングの道と、精神を失った「死んだ」自然よりは歴史や人間の精神を高く評価するヘーゲルとの道は分かれていくようである
ここには、実に示唆に富むシェリングとヘーゲルの対比が示されている
わたしの歩みを振り返ってみれば、自然を外にある対象として記述していたところから、自然そのものの中に精神的なものを見出そうとしているところへと変容しているように見える
それは、今日の対比で言えば、ヘーゲルというよりはシェリングにより近い見方ということになるだろうか
科学から哲学に移ったことが大きな影響を与えていることは間違いないだろう

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