2026年1月9日金曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(25)
































今日は、 3-2-3「自然の哲学の精神は主観主義ではない」に入りたい

科学が客観的な規則に従って世界を見るとするならば、哲学に残されているのは主観的な領域だけになる傾向がある

ただ、哲学的探求が主観的な経験から生まれるという印象を与えるのは、自然の哲学ではない

自然の哲学の別の道が開かれるのが、ベルクソン(1859-1941)の哲学の内部である

つまり、援用する直観は、主観性に関わることもなく、諸科学の客観性からも十分な距離を取ることができるのである

自然の哲学には、主観性とも科学の客観性とも距離を取った新たな道が可能であるということなのだろうか


ベルクソンによれば、経験が2つの異なった相に生じることにより、2つの認識法が可能になるという

1つは、空間の中で出会う測定可能な多数の客観的事実の前に我々を立たせるもので、科学が求める予見と技術介入が関わる経験の相である

もう1つは、法則や数量に逆らう質的形式のもとに経験が現われ、実在が意識に示現するときの直観的内容の相である

前者は科学や知性のやり方に対応しているのに対し、後者では直観や内的経験が重要になる

客観性や有効性において、科学は哲学に対して優位を示しているだけではなく、先行性も有しているように見える

なぜなら、哲学的直観は科学が集めた事実から出発しなければならないだろうから

ベルクソンは、この点を認識しない安易な主観的直観を空想であると排除し、「哲学は諸科学を手本にする」としている

ここに、一般的に言われている主観性を放棄するのである









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