本日は、3-3-3「シェリングの哲学における自然の質的経験」について読むことにしたい
シェリング(1775-1854)は、自身の哲学全体を思弁的自然学と経験的自然学という2つの「自然学」に分けていたので、客観的経験と構成的経験の区別は明瞭に現われていた
思弁的自然学とは、自然を内側から動かす内的衝動に関心を持つ自然の哲学である
それは諸事物の非客観的な側面に向かう
これに対する経験的自然学は、世界の表面で起きることしか考慮に入れない
ショーペンハウアー(1788-1860)によれば、経験的自然学は自然の外貌を作っている客観的・機械的な側面には執着するが、普遍的運動性の根源にまでは決して遡らない
したがって、この自然学は哲学ではなく自然科学と解され、観察者によって報告される事実の積み上げに過ぎなくなる
その総体は受動的堆積であり、産物でしかない
もし、そこに能動的で生産的な相の下に直視すれば、それは世界であることを止め、自然となる
この見方によれば、自然とは産物(所産的自然:natura naturata)と生産性(能産的自然:natura naturans)が同一の状態にあるもので、世界とは前者を蒐集した総体を指すことになる
自然の哲学のためには、自然の諸力が包蔵する創造的活力を呼び出さなければならない
シェリングによれば、そこには我々が直観し得ないような無限の進化と生成が見える
宇宙の設計者の設計になる進化や、物質世界の機械論的変容による進化は問題にならない

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