2026年1月14日水曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(29)



















本日は、3-3-3「シェリングの哲学における自然の質的経験」について読むことにしたい

シェリング(1775-1854)は、自身の哲学全体を思弁的自然学と経験的自然学という2つの「自然学」に分けていたので、客観的経験と構成的経験の区別は明瞭に現われていた

思弁的自然学とは、自然を内側から動かす内的衝動に関心を持つ自然の哲学である

それは諸事物の非客観的な側面に向かう

これに対する経験的自然学は、世界の表面で起きることしか考慮に入れない

ショーペンハウアー(1788-1860)によれば、経験的自然学は自然の外貌を作っている客観的・機械的な側面には執着するが、普遍的運動性の根源にまでは決して遡らない

したがって、この自然学は哲学ではなく自然科学と解され、観察者によって報告される事実の積み上げに過ぎなくなる

その総体は受動的堆積であり、産物でしかない

もし、そこに能動的で生産的な相の下に直視すれば、それは世界であることを止め、自然となる

この見方によれば、自然とは産物(所産的自然:natura naturata)と生産性(能産的自然:natura naturans)が同一の状態にあるもので、世界とは前者を蒐集した総体を指すことになる

自然の哲学のためには、自然の諸力が包蔵する創造的活力を呼び出さなければならない

シェリングによれば、そこには我々が直観し得ないような無限の進化と生成が見える

宇宙の設計者の設計になる進化や、物質世界の機械論的変容による進化は問題にならない










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