2024年6月29日土曜日

想像を超えたアイディア


























この週末、のんびりと過ごす

集中の1カ月の後、体が要求しているようだ

そんな中、これまで考えたこともなかったようなアイディアが浮かんできた

こういうことがあるのか、という感じである

心身から束縛を取ると、自分を超えたものが見えてくることがあるのかもしれない

先は全く予想できないが、頭の片隅に入れておいて、長い目で取り組むことにしたい











2024年6月27日木曜日

パリメモを読んで、いくつか確認する



























今回パリに出発する前には17年前から書き留めていた「パリメモ」と称するものを寝る前に読んでいた

昨夜、開かれたままになっているノートを見て思い出した

その気分ではなかったが、一応目を通すことにした

それは「パリメモ」⑧で、2008年12月ベルギーのオステンドを訪問した時のものであった

上の写真の女の子も今や立派な女性になっているはずの昔である

大学院にいる時にはほとんどすべてが蘇ってきたのだが、細かいところの記憶は薄れてきたことが分かった


当時はフランスに渡って2年目なので、マスター2年目でもあった

当然のことながら、メモワールをどうしようかということも考えていた

それ以上に、その頃から活動的生活(la vie active)と観想生活(la vie contemplative)の対比についての考察がある

エッセイや『免疫学者のパリ心景』でも触れているように、仕事をしている時には思考がされていなかったことに気づいたことが観想生活に入る根底にあったということである

一つのやり方として、活動的生活と観想生活を並行されることも考えられるが、それだけの容量がなかった

そのため、両者を別々にやるという方法を採ることになったという認識である

まさにその通りで、わたしにとってはこれが最善の道であったと今言えるだろう

おそらくこのような認識は、フランスに渡る前から熟していたものと思われる


メモの中に、所謂「科学哲学」と呼ばれる領域があるが、そこにおける問題意識を窮屈に感じるという言葉があった

一つの専門領域になると、そこでのやり方があり、その専門家を育成するための教育が行われることになる

わたしのような立場の人間には、それが専門的に過ぎ、窮屈に感じたのだろう

専門の枠に囚われない世界を構築できないかという願望が書かれていて驚いたが、それはその後も一貫してどこかに生き続けてきたようである












2024年6月26日水曜日

拙著 Immunity のプロモーション



















拙著 Immunigy: From Science to Philosophy の刊行予定(8月上旬)が近づいてきた

それに合わせるかのように、出版社がプロモーションをやっていることを知らせてきた

その際に使う X(Twitter)、Facebook、LinkedIn 用のイメージが添付されていた

上の図は FB 用である

おそらく他の出版社も同様ではないかと想像しているのだが、これまでにもあの手この手でいろいろなプロモーションをやっている

大袈裟に言えば、発売前から休むことなく闘っているという印象だが、彼らにすると極自然なビジネスのやり方なのだろう

日本にいると、このような宣伝をすることに抵抗を感じるのだが、少しずつその抵抗感が薄れてきた

今回のパリ滞在で彼らの日常を肌で感じ直したことも、この過程に関係していそうである








2024年6月25日火曜日

パリからの機内で興味深い出会い、そして本日、無事帰国




















本日、一カ月のパリ滞在を終え、無事帰国した

パリからの機内で興味深いことが起こった


気付かなかったのだが、横にフランス人夫婦が座っていた

途中、退屈したのか、話しかけてきた

ひょっとすると、同じ匂いを感じ取ったのかもしれない

すでに年金生活に入っているとのことで、わたしにまだ仕事をしているのか確かめてきた

今回の旅は、息子さんの嫁がカンボジア人なので里帰りに付いてきたという

新しい世界を前にやや興奮気味であった

この方のお子さんたちはセネガルとイタリアにも関係を持っているようで、インターナショナルだ


さて、8年ほど前のある日(日にちを覚えていた)、突然覚醒したということを語っていた

それまで気付かなかったあるべき人間の心の持ち様が見えたのだという

日常生活のどうでもよいことに心を奪われるのではなく、重要なことに心を配ること

それ以来、そういう心の動きをしている人が分かるようになったという

内的世界が広いと言うか、人間として話ができる状態にある人とそうでない人が明確に違うことに気付いたようだ


これはわたしが言う意識の三層構造の第三層の重要性と繋がるような気がして確かめてみた

しかし、その点はよく分からないとのことだった

ただ、l’environnement mental(心の環境)という言葉が出てきて、あるべき心の状態というような意味で使っているのではないかと思われた

お金を儲けても心の環境はどうなのか、という使い方である

金とか名誉などの外的なものに価値を認めず、真善美を求めるのが人間のあるべき姿だという考えは、古代ギリシアから哲学が教えているところで、よく理解できる


また、フランスにいた時には何を食べていたのかを訊いてきたので、粗食の内容を伝えると、あまりいいものを食べていなかったようだねとの反応

こういう時に有効なのが、エピクロスのパンと水である

この答えにも納得していた

当然のことだと思うが、最近のフランス、ヨーロッパにも思いを致しているようであった

考え方は、ル・ペンでもマクロンでもなく、寧ろメランションに近いようなお話であった

そして最後の方で、家にいる時は何もしないのか?と訊いてきた

「勿論何も(Rien)! Penser 以外は」と答えるとニヤリとして、それは重要なことだと言っていた

このようなやりとりが1時間ほど続いたのではないだろうか

話が通じる人間を発見できることは大きな悦びである


すでに触れているが、今年のパリ滞在は昨年以上にいろいろなアイディアが浮かんできた

いずれも時間を要するものばかりである

これからどれだけ育て上げることができるのか

興味深い問題である







2024年6月23日日曜日

安藤忠雄のインタビューを観る






昨夜 Youtube を散歩していると、ポンピドゥー・センターによる安藤忠雄インタビューが現れた

これまで安藤忠雄氏の話をじっくり聴いたことがなかったので、観てみることにした

最初から緊張感のある対話が進行していて、聞き入った

このような対話が成立するためには、相手の深い考えを引き出すような本質に迫る質問が前提になる

質問が文化の諸相に触れるかのように重層的に発せられている印象を持った

その意味では、真剣な回答を迫られる、まさに真剣勝負の時間になっていたのではないだろうか

わたしも若い建築家になったような気分でお話を聴き、刺戟を受けた

このような番組が日本では少ないように感じるのは、わたしだけだろうか














2024年6月22日土曜日

今回の滞在の目的が見えてきた



























今日は一時雨に降られたが、その後は明るい一日となった

用事を足すために少し散策、途中にあったリブレリーで1冊手に入れる

それからカフェに入り、デジュネ

残り僅かとなったパリ滞在だが、ここに来て今回の滞在の目的の全体が見えてきたようだ

当然のことながら、こちらに来る前には想像もしていなかったことがそこにある

それを発見することは、このような滞在の醍醐味だろうか

それと、3年振りでやや興奮していた昨年とは違い、今年は落ち着いた気持ちでパリと接触している

そして、パリがより近くに感じられるようになっている












2024年6月20日木曜日

オデオン、リュクサンブール公園辺りを散策























確かに、今回の滞在は去年とは大きく違う

去年は日本から仕事を抱えてきたため、パリ市内を動き回る気分にはならなかった

毎日同じようなことを同じようにやっていた

すでに触れているが、今回はそのようなことから自由になっている



今日はお昼前からカルチエ・ラタンに出た

少し歩くと汗ばむ程度に暑い

オデオンの裏路地を散策、店員さんとの会話を楽しむ

それから、リュクサンブール公園前の行きつけだったカフェに落ち着いた

クリュニーからは緩い登りだが、これ程キツイと感じたことはかつてあっただろうか

筋力の衰えは隠しようもない

日本に戻ってからの課題がもう一つ増えたことになる



今回の滞在も終盤を迎え、気分は穏やかである

あっという間だったでしょうという声も聞こえるが、最近のわたしには当て嵌まらない

いつも悠久の時の流れの中にいるように感じているからだ

この間、日本にいたと想定した場合にはできなかったであろういくつかのマインドセットが出来上がって来た

あとは横にスライドするように移動すればよいだけである

帰りにソルボンヌ広場のカフェに寄り、この記事をアップしてからアパルトマンに向かった










2024年6月18日火曜日

よい読みとモーリシャス音楽

























本日も午後から動き出した

散策をした後、結果的にカフェを2軒梯子したが、非常に落ち着いたよい読みができた

その内の1軒で流れていた音楽に体が微かに反応するのを感じ、店員に訊いたところモーリシャスの音楽だという

そのタイトルで Youtube を探したところ、以下のようなものが出てきた

その時の気持ちとこのリズムが合っていたのだろう

モーリシャス音楽も今回の収穫に数えておきたい
















2024年6月17日月曜日

スローターダイクさんによるヨーロッパ批判の書の話を聴く


























今日は午後から、スローターダイクさんの最後の講義を聴きに出かけた

タイトルは「西欧への敵意から白人恐怖症へ」となっていたが、「東は東、西は西」のラドヤード・キップリングの言葉を借りれば "Get away, European people!"(欧州人よ、帰りなさい)だと言って話を始めた 

19世紀からのヨーロッパ批判の書について語っていたようだ

半分ウトウトしていたが、いくつかメモしておきたい

たとえば、『ロシアとヨーロッパ』を著したニコライ・ダニレフスキーの汎スラブ主義運動があるという

ゲルマン人ロマンス民族の集合としてのヨーロッパには、以下の3つの特徴があるという

第1は戦争を始める残酷さ、第2は党派の不統一、第3は真のキリスト教の歪曲

ヨーロッパがスラブ民族を支配しようとする動きも含まれているようだ

この見方はプーチンの「ユーラシア連合」構想の背後にあるようで、その重要性が増しているという


それから、ブラジルの詩人オズワルド・デ・アンドラーデの『食人宣言』にも触れていた

これは、ヨーロッパ文化を無批判に受け入れるのではなく、自国の文化に照らして受容しなければならないという考え方を唱えたものだという

そのことをシェークスピアをもじって "Tupi or not Tupi, that is the question." と表現した

Tupi とはブラジルの先住民のこと 

文化的カニバリズムに要注意ということだろう


もう一つ、カメルーンの哲学者アキレ・ムベンベの『黒人理性批判』(Critique de la raison nègre, 2013)が(要旨に)取り上げられていた










2024年6月16日日曜日

大きな枠組みを書き始める

































この週末はインタビューが終わったこともあり、非常に落ち着いた気持ちで過ごすことができている

昨日の午前中は馴染となった近くのカフェでゆっくりした時間を過ごし、午後から夜にかけては考えを泳がせるようにしていた

そんな中、これからに向けてのプロジェとして固まってきた一つについて、大きな枠組みを文章にするという作業を行ってみた

少し離れて見れば、パリのアトリエに籠り、これからの指標となる考え方を素描していたと言えるかもしれない


今日は朝の内は雨模様であったが、次第に明るさを増しそうである

気持ちは鎮まったままなので、今日も昨日の続きをやりたいものである

いつの日か、昨日がその初日であったと言える日は来るのであろうか










2024年6月14日金曜日

香港の高校生からインタビューを受ける



















今日、香港のハロー・インターナショナルスクールの学生さんから免疫に関するインタビューを受けた

Hanson Wenというその学生さんは、LinkedInに先日出した拙著 Immunity の案内を見て興味を持ち、インタビューを申し込んできた

積極的で、意識が開かれた高校生と言ってよいのだろう

本はまだ刊行されていないので、認知の要件に関する minimal cognition 問題について触れた論文を読んでから議論することになり、今日を迎えた

使い始めたばかりの LinkedIn が思わぬ効果をもたらしてくれたことになる


インタビューはかなり専門的でポイントとなるところをついてくるもので、現代の高校生のレベルの高さに驚いた

後半では、Immunity の内容についての質問もあり、関心の高さがうかがわれた

これから科学の世界に飛び出そうとしていると思われる若者が、哲学的な事にも興味を持っている様子が伝わって来た

それに比して、わたしの答えは何とも心許ないものとしか言いようがなかった

対象となる人たちの内的世界への想像力が欠けていることも一因だろう

日頃から第三者に説明したり、ディスカッションするという状況に身を置くことが大切なのかもしれない

また、英語のトレーニングもし直さなければならないだろう

相変わらず内に抱いている、庵に籠っている哲学者というイメージを改めなければならないかもしれない

いずれにせよ、久し振りに現世に晒されたような気分で、これからに向けての課題も露わになった








2024年6月13日木曜日

テオドール・ルソー展を観る
































今日は午後から19世紀の風景画家テオドール・ルソー展覧会を観るため、プティ・パレまで出かけた

先日街中でポスターを見て興味を持ったからである

短い時間ではあったが、静かな景色を堪能した

エコロジストの先駆けではないかとの見方もあるようだ

以下にいくつか紹介したい













































































会場を出た後、デ・プレ駅まで歩き、そこからメトロで帰って来た












2024年6月12日水曜日

パリ18日目の雑感



















今日の午前中は、部屋と近くのカフェを往復しながら考えをまとめていた

朝の空気の中、カフェに座り考えを巡らすというのは、何ものにも代えがたい時間である


こちらに来てから、ヨーロッパの音楽をいろいろ聴くようになっている

先日も少し触れたが、こちらで彼らが演奏するのを聴く時、日本では感じられない何かを感じる

彼らにとっては身近だが、我々にとっては超えられない一線があるようなそんな領域にある芸術のような気がするのだ

この感覚は、年とともに深まってくるようである

逆に言うと、そういう認識の下で味わうというのも興味深いのではないだろうか


ところで先日、今回のパリ滞在はスローターダイクさんの講義を聴くために来たようなものだと書いた

この間、カンギレム関連のものにも反応することが少なくなかった

免疫論でその入り口に立ったからだろうか

カンギレムが若き日、リセの先生だったアランと共にオーギュスト・コントをしっかり読んでいたという

こういう繋がりが、興味を倍加する


また本日、カントを少し齧ってみた

余りにも偉大なものには近づくのを避ける性向があるためか、これまで敬遠してきた哲学者である

ところが、わたしの問題意識とも重なるところがあり、意外に面白いかも、と思わせてくれた

暫く様子を見ることにしたい







2024年6月11日火曜日

パリカフェ、拙著 Immunity の校正が終わり印刷へ、そして真に自由な時間について


























昨日の散策中、パリカフェの会場となったビルが現れ、昔を思い出した

もう7年も前のことになる

初回の記録に、わたしの真理と絶対的真理について簡単な考察がされているのを見て、驚いた

もう記憶から消えていたからである

いつ再開できるのかは全く分からないが、一応アクティブな会として残しておくことにしたい


ところで、拙著 Immunity のコピーエディティングが最終的に終わり、印刷に回ったとの連絡が入った

刊行は8月5日と決まったようだ

これで完全にわたしの手を離れたという感じである


今日も午前中から外に出て、考えをまとめていた

偶に街路に目をやると、人々が自由に動いている

おじいさんが電動式のキックボードで颯爽と行くのが見える

それだけで気分が高まる

昨日手に入れたビョンチョル・ハン瞑想的生活』の冒頭に目を通す

タイトルに『あるいは活動しないことについて』と付いている

ここに書かれてあることは、わたしがフランスに渡ってから感じ続けていることと完全に重なる

仕事の論理の中にある暇な時間は次の仕事までに空き時間で、生の活力や躍動とは無縁であり、そこには瞑想が欠けているという

真の自由な時間にはこの二つが含まれている

それが可能になるのは、目的のない生活ができるようになったからではないか

このような時間を持つことができることが幸福の条件ではないかという

何等かの活動をしていなければ落ち着かない状態では、そこに至らない

自らの経験に照らすと、その主張は手に取るように分かるのである











2024年6月10日月曜日

欧州議会議員選挙、リブレリーの棚と対峙、そしてスローターダイクさんの話を聴く


























今回のフランス滞在もマスメディアとの接触がない状態で進んでいる

フランスにいた当初からのスタイルなので、もう16-7年この状態が続いている

ただ、2017年フランス大統領選挙の時にはフォローしたことがあるが、その後は再び元の状態に戻ってしまった

流れる現実を追うためには膨大なエネルギーが必要となり、意識が自らの求める方向とは違うところに集中してしまうからだろう

そんな状態でも、昨日終わった欧州議会議員選挙結果が目に入った

数字だけを見れば、全議席720の内、保守系(conservateurs)が179、社会民主(sociaux-démocrates)が140、そして極右(extrême droite)に分類されている3つの党派を合わせると178となっている

詳しいことは分からないが、前回の2019年の傾向は維持され、極右全体では前回より増えているのではないだろうか

フランスでも、国民連合(Rassemblement National, RN)が第1党となり27議席、続いてマクロン大統領が支持するルネッサンス(再生)(Renaissance)が23議席を獲得

国民連合と聞いてもピンとこなかったが、2018年にマリーヌ・ル・ペンの国民戦線=Front National, FN が名前を変えたものであった

いずれにせよ、前々回の大統領選挙から感じられた地殻変動がじわじわと起こっているようだ

ところで、Le Monde の選挙結果を示すカラーの図には、色覚異常者(daltoniens)のために色を変えるボタンが付いていた

日本では気付かなかった配慮である



このような状態だが、旅行者にはこれまでと変わらない日常が流れている

今日は午前中からカフェに出かけ、考えをまとめていた

それから今日の写真のリブレリーで暫しの時を過ごし、自らの脳内ランプが灯る瞬間を待った

棚全体を眺めて気になったものを手に取り、その勘が当たったかどうかを確かめるという作業をやっていた

今日は想像以上の収穫があった

ほとんどをメモだけにして、1冊だけ手に入れた

本の重量が軽かったことと、タイトルと内容がわたしの興味と完全に重なっていたからである

著者を見ると、韓国出身でドイツで活躍しているビョンチョル・ハンという哲学者であった

日本でどれだけ知られているのかは分からない


























午後からは、スローターダイクさんの話を聴くために、コレージュ・ド・フランスへ

今回で3回目になる

今の興味に合致するからというよりは、これからのために視界を広げておきたいということの方が大きかった

いつも一部と二部に分かれているのだが、第一部のご本人の話にわたしの脳内ランプは全く反応しなかった

こういうことがあるのである

後半は、ロバート・ボーグ・ハリソンというスタンフォードの教授がプレゼンした後、対論となった

ハリソンさんは冒頭に少しだけ話をした後、ソルボンヌの女性教授に自分の原稿を読んでもらっていた

フランス語の切れが違うということなのだろうか

いずれにせよ、後半はランプが灯る回数が急に増加

これからのためにメモに残しておいた

来週が最後の講義になるとのことだったので、聴講することにしたい

振り返れば、全く予期しなかったことだが、今回のフランスはスローターダイクさんの話を聴くために来たような様相を呈している

まさに、目的は最後に現れるのである
医学のあゆみ 251: 199-202, 2014









2024年6月9日日曜日

ゲザ・アンダのドキュメンタリーを観る

























こちらで Youtube に行くと、出てくる宣伝が違っていて面白い

日本のように訳もなく喧しいのは少ないようだ

そして、今日は普段あまり出てこないプログラムが現れたので、観ることにした

ブダペスト出身のピアニスト、ゲザ・アンダ(1921-1976)のドキュメンタリーである

今回、若くして亡くなっていたことを知った









こういう落ち着いた調子のドキュメンタリーをパリで観ていると、体の中にヨーロッパが沁み込んでくるようだ

日本ではなかなかそうはいかない

なぜか満ち足りた気分に包まれた日曜の静かな朝である










2024年6月8日土曜日

拙著 Immunity についての話題

































今日はアマゾンのサイトに行き、拙著 Immunity: From Science to Philosophy が Kindle版 でも準備されていることを知った

現代の特に若い人にとってはこちらのバージョンの方がよいのかもしれない

また、出版社の Talyor & Francis のサイトに行くと、章の要約と内容の一部が読めるようになっている

登録されている研究機関であれば、GET ACCESS ボタンからすべての章のおそらく一部が、それ以外の人は PREVIEW PDF ボタンで内容の一部と引用文献を読むことができる

最終的なページ数を見ると、日本語版の半分になっている

ページ当たりの文字数が多くなっているからだが、やはり本のサイズが大きくなっているのだろう

そうでなければ、大変な読み難さである

このページ数であれば、圧倒されて読むことが躊躇されるということはなくなるのではないだろうか

手頃なサイズの本を手にしながら、思索の時を過ごしていただけると幸いである

いずれにせよ、少しでも多くの方に届くことを願うばかりである









2024年6月7日金曜日

街中を歩き、時々考えをまとめる
































本日は午前中から完璧な空の下、街中で過ごした

この空には精神を清める効果があり昔から気に入っていたが、その効果は今も健在のようである

まず、当地に滞在中からよく入ったことがあるカフェに落ち着き、考えをまとめる作業をした

客はまだ少なく、お店の人がきびきびとした動きでテーブルなどを整えている

これまでなかなか手を付ける気にならなかったものだが、少し動き始めたようである

それから歩いてリブレリー Delamain

ここでこれまで思いもよらない本と出合っているので期待して出かけた

今回は、以前ほどの驚きは感じなかったが、いくつか手に入れた

他にもあったが荷物になるので、特に重そうなものは日本から注文することにした

会計の時、目の前にシュテファン・ツヴァイクの『トルストイ』があるのに気づき(表紙の写真が素晴らしかったからか)、支払いが終わった後にざっと確認して買うことにした

これなどはまさに偶然が手に取らせてくれた本ということになるのだろう

その昔『バルザック』を読んで以来、ツヴァイクは好きな作家の一人になっている



もう観光シーズン真っ只中ということなのだろう

このカルティエは観光客が多い

そこからオペラの方に歩き、サンドイッチをデジュネとしてからもう1軒カフェに寄ったがネットには繋がらず

アパルトマンの方が早いと考え、夕方には戻ってきた

日の光の強い中を歩き回ると、結構疲れるようだ

日本での運動不足を考えると、これくらいでもまだ足りないのだろうが、、




































2024年6月6日木曜日

パリ12日目で、これまでを振り返る

























パリに来て12日目を迎えている

今日は終日アパルトマンに留まり、時の流れを観察しながらこれまでを振り返っていた

当初予想したように、昨年よりはかなり自由に動き回れており、すでに思いもかけないことが起こっている

その背景には、特定のテーマに縛られ、やることが決まっているという状態にいないことがある

お陰様で、これからの行動に結びつくアイディアであったり、思索すべきテーマがいくつか浮かんでいる

フランスにいてその文化と直に触れ合うことが、そういうものを触発しているのだろう

日本にいると遠くに感じるようになっていたことが、再び息を吹き返してくるということもある

自分の場所を離れること、そして現場に立つことの大切さを改めて痛感している

これからも注意深い観察を続けたい










2024年6月5日水曜日

マルク・ダエロン博士と人生を語り尽くす
























今日は哲学に入る切っ掛けを与えていただいたマルク・ダエロン博士とのデジュネがあった

そこは très parisien なレストランとのことで、パンテオン近くにあった

パスツール研究所を退職されてからは悠々自適の生活

とはいうものの、人生における本質的なことに打ち込んでいるようだ

退職後の時間はそのためにあるという認識であった

全くその通りである

研究の現状をフォローしながら論文や著作も発表されている

それから、この時期にはイタリアのカッラーラに出向いて、大理石に潜むフォルムを浮かび上がらせるという大変な作業に打ち込んでいる

数週間の滞在中は彫刻に完全に集中

現実を前にしてはケガをし兼ねないので注意するのは勿論だが、哲学的思索が欠かせないようだ

最近、彫刻という作業の意味が分かってきたという

到達した認識は哲学的なもので、わたしの理解を超えていた

(夕方、ダエロン博士から彫刻に関するエッセイが送られてきたので、後でじっくり読むことにしたい)

20年来の作品を見せていただいたが、とても素人の作品とは思えなかった

確かに、10年以上続けていればプロと言ってもよいのかもしれない

まだ公開不可とのことでお見せすることができないのは残念だ


同年代なのだが、時間の捉え方に若干の違いがあることが分かった

わたしと同じく永遠に生きると思っていたようだが、最近その永遠が以前より短くなったように感じるとのこと

コロナの時に本を執筆していたが、ここでコロナに罹ると未完に終わる可能性もあるので緊迫感を以って過ごしたようである

わたしの場合は、まだその感覚はない


レストランを出ると、もうパリに住んでいるような気になるでしょうと言ってきた

ご自身もブダペストやイタリアの町に行くと同じような感覚に陥るが、その感じは何とも言えずよいという

全くその通りだ

また、出版社 Odile Jacob の古いオフィスが入っていたビルの前では、夢が実現するまでの過程を語ってくれた

人生を味わい直すような豊穣の時が流れた

またの機会にお話を伺いたいものである

再会を約して別れた




































2024年6月4日火曜日

オーギュスト・コントさんの墓を詣でる

































やっとオーギュスト・コントさんの墓に辿り着くことができた

不思議なもので、そのような気が起こったことがない献花することを思い立った

その場に立つと、思いもかけない考えが浮かんでくる

ペール・ラシェーズ墓地の出入口周辺には花屋さんがあるが、最初に覗いたところはすべて造花だった

生花のお店を教えてもらい、お墓まで

質素な作りである

すでに本が2冊置かれてあった

そこに花を添えさせていただいた

少しだけ華やいだように感じたのは、わたしだけだろうか



























一番手前にプレートがあり、コントの名前のすぐ下には、「人類教の創始者」とある

その下に、3つの作品名が列記されていた
Cours de Philosophie positive(実証哲学講義、1830-1842)

La Politique positive(実証政治学、1848-1854) 

La Synthèse subjective(主観的総合、1856)

 

最後の著作は日本語訳が定着していないようだが、副題『人類の正常な状態における普遍的な概念の体系』が内容を示しているのだろう

この3作を誰が選んだのかは知らないが、そのように考えられているということなのか

それにしても、人類教への思いはかなり強いものであったことが窺われる

人類教については8年前にエッセイを書いたことがある
医学のあゆみ (2016.9.10) 258: 1085-1089, 2016


いずれにしても思わぬ一日となった

その場に立つと何が起こるか分からないということを、15年前にも経験した

エルサレムの西壁の前に立った時である

その時のエピソードが以下のエッセイにある

医学のあゆみ (2014.1.11) 248: 174-178, 2014


その瞬間に浮かんだことは、今でもわたしの中に生きている










2024年6月3日月曜日

朝のカルティエ・ラタンを味わい、午後には大きな宿題を抱える


























今日は午前中からカルチエ・ラタンに出かけた

パリ時代、特に院生時代はよくここで時の流れを眺めたものである

室内に入り、静かな朝のひと時を感じながらのプティ・デジュネとなった

暫くすると向かいの哲学専門書店Vrinが開いたので、そこを歩き回った

今日はカンギレムスピノザが目に付いた

振り返れば、免疫論ではこのお二人を取り上げているが、それはまだ入口と言ってもよいものであるという認識があったからだろう

これからに向けて何冊か手に入れた

それからソルボンヌの向いの小さな公園のベンチに落ち着き、その内の1冊を手に取ったが、非常に良い読みとなった

隣に女子学生と思われる二人組が座ったが、機関銃のようなフランス語で何を言っているのか分からなかった

若いエネルギーを感じる時間ともなった

お昼時には周辺を何気なく散策

ブランクーシを記念するプレートを見つけた

展覧会に行っていなければ、間違いなく見逃していただろう







午後は先週に続き、ペーター・スローターダイクさんの講義を聴きにコレージュ・ド・フランスまで出かけた


「行って世界に火をつけろ」という挑発的な言葉があったので、何の話なのか興味をもった次第

最初の1時間をスローターダイクさんが話した後、後半の1時間はレミ・ブラーグさんとジル・ケペルさんがそれぞれ30分ずつコメントするという形式であった

内容については、聴いただけで咀嚼するのは難しかった

現代の緊急の問題や世界、ヨーロッパを根源的に考える上で重要なテーマが詰まっていそうなので、これからの宿題にしておきたい











2024年6月2日日曜日

ミシェル・ペトルチアーニさんの墓を発見















昨日雨の中、コントさんの墓を探しに出かけた

その途中で人だかりができて、通れないところがあった

ショパンの墓であった

週末ともなるとこれだけ人が集まるのかと感心しながら、暫く待っていた

その時、右に目をやるとジャズピアニストのミシェル・ペトルチアーニ(1962-1999)さんの立派な墓があるではないか

先日訪れた時には通り過ぎていた

コントさんの墓の方は、かなり歩いたのだが見つからなかった

帰りに掲示板を見直したところ、区画番号を間違えていたことを発見

しかし、石畳で歩き難く坂が多いのでそれなりに疲れたのだろう

再び戻る気にはならず、またの機会にすることにした


今日も今にも降り出しそうな空模様である

この時期のパリの朝夕はまだ肌寒い

暖房がオンにならないので、担当者に来てもらった

何のことはない、プッシュ式のスイッチを暫く押し続けなければならなかったのである

こういうちょっとしたことをいろいろ試してみるという精神が欠如しているようだ

これで気持ちよく過ごせそうである
















一曲聴いてみたい気分だ








2024年6月1日土曜日

アンドレ・ジードの『地の糧』ノートでこれからを考える

































昨日も雨が降った

そんな中、久しぶりにアパルトマンに籠り、先日読んだものも含めて、これまでのメモを読み直していた

その中から、これからに繋がりそうなものをノートに書き出すという作業もしていた

そのノートが上の写真だが、先日のリブレリーでいろいろな文学作品がカバーとして使われている中から選んだ

若い時にいくつか読んだ作家だったからだろうか、アンドレ・ジードの『地の糧』に手が伸びた

普通のノートとは違い、書き込んでいくと気持ちが澄み渡るように感じられる

この作業の中で、ここ数年の考えが少しだけ秩序付けられ、自分の中に刻まれることになった

日本では、この「刻まれる」という状態になかなかならないので、貴重な時間となった

メモの中にベルクソンの次の言葉があった
わたしが自分自身による自分自身の創造と呼ぶこの創造は最大の喜びを齎すもので、それを体験するために並外れた才能が必要だということはありません。誰にでもできるのです。
わたしも今、そのような状態にいるものと思いたい

長い付き合いになりそうなノートである