2024年6月23日日曜日

安藤忠雄のインタビューを観る






昨夜 Youtube を散歩していると、ポンピドゥー・センターによる安藤忠雄インタビューが現れた

これまで安藤忠雄氏の話をじっくり聴いたことがなかったので、観てみることにした

最初から緊張感のある対話が進行していて、聞き入った

このような対話が成立するためには、相手の深い考えを引き出すような本質に迫る質問が前提になる

質問が文化の諸相に触れるかのように重層的に発せられている印象を持った

その意味では、真剣な回答を迫られる、まさに真剣勝負の時間になっていたのではないだろうか

わたしも若い建築家になったような気分でお話を聴き、刺戟を受けた

このような番組が日本では少ないように感じるのは、わたしだけだろうか














2024年6月22日土曜日

今回の滞在の目的が見えてきた



























今日は一時雨に降られたが、その後は明るい一日となった

用事を足すために少し散策、途中にあったリブレリーで1冊手に入れる

それからカフェに入り、デジュネ

残り僅かとなったパリ滞在だが、ここに来て今回の滞在の目的の全体が見えてきたようだ

当然のことながら、こちらに来る前には想像もしていなかったことがそこにある

それを発見することは、このような滞在の醍醐味だろうか

それと、3年振りでやや興奮していた昨年とは違い、今年は落ち着いた気持ちでパリと接触している

そして、パリがより近くに感じられるようになっている












2024年6月20日木曜日

オデオン、リュクサンブール公園辺りを散策























確かに、今回の滞在は去年とは大きく違う

去年は日本から仕事を抱えてきたため、パリ市内を動き回る気分にはならなかった

毎日同じようなことを同じようにやっていた

すでに触れているが、今回はそのようなことから自由になっている



今日はお昼前からカルチエ・ラタンに出た

少し歩くと汗ばむ程度に暑い

オデオンの裏路地を散策、店員さんとの会話を楽しむ

それから、リュクサンブール公園前の行きつけだったカフェに落ち着いた

クリュニーからは緩い登りだが、これ程キツイと感じたことはかつてあっただろうか

筋力の衰えは隠しようもない

日本に戻ってからの課題がもう一つ増えたことになる



今回の滞在も終盤を迎え、気分は穏やかである

あっという間だったでしょうという声も聞こえるが、最近のわたしには当て嵌まらない

いつも悠久の時の流れの中にいるように感じているからだ

この間、日本にいたと想定した場合にはできなかったであろういくつかのマインドセットが出来上がって来た

あとは横にスライドするように移動すればよいだけである

帰りにソルボンヌ広場のカフェに寄り、この記事をアップしてからアパルトマンに向かった










2024年6月18日火曜日

よい読みとモーリシャス音楽

























本日も午後から動き出した

散策をした後、結果的にカフェを2軒梯子したが、非常に落ち着いたよい読みができた

その内の1軒で流れていた音楽に体が微かに反応するのを感じ、店員に訊いたところモーリシャスの音楽だという

そのタイトルで Youtube を探したところ、以下のようなものが出てきた

その時の気持ちとこのリズムが合っていたのだろう

モーリシャス音楽も今回の収穫に数えておきたい
















2024年6月17日月曜日

スローターダイクさんによるヨーロッパ批判の書の話を聴く


























今日は午後から、スローターダイクさんの最後の講義を聴きに出かけた

タイトルは「西欧への敵意から白人恐怖症へ」となっていたが、「東は東、西は西」のラドヤード・キップリングの言葉を借りれば "Get away, European people!"(欧州人よ、帰りなさい)だと言って話を始めた 

19世紀からのヨーロッパ批判の書について語っていたようだ

半分ウトウトしていたが、いくつかメモしておきたい

たとえば、『ロシアとヨーロッパ』を著したニコライ・ダニレフスキーの汎スラブ主義運動があるという

ゲルマン人とロマンス民族の集合としてのヨーロッパには、以下の3つの特徴があるという

第1は戦争を始める残酷さ、第2は党派の不統一、第3は真のキリスト教の歪曲

ヨーロッパがスラブ民族を支配しようとする動きも含まれているようだ

この見方はプーチンの「ユーラシア連合」構想の背後にあるようで、その重要性が増しているという


それから、ブラジルの詩人オズワルド・デ・アンドラーデの『食人宣言』にも触れていた

これは、ヨーロッパ文化を無批判に受け入れるのではなく、自国の文化に照らして受容しなければならないという考え方を唱えたものだという

そのことをシェークスピアをもじって "Tupi or not Tupi, that is the question." と表現した

Tupi とはブラジルの先住民のこと 

文化的カニバリズムに要注意ということだろう


もう一つ、カメルーンの哲学者アキレ・ムベンベの『黒人理性批判』(Critique de la raison nègre, 2013)が(要旨に)取り上げられていた










2024年6月16日日曜日

大きな枠組みを書き始める

































この週末はインタビューが終わったこともあり、非常に落ち着いた気持ちで過ごすことができている

昨日の午前中は馴染となった近くのカフェでゆっくりした時間を過ごし、午後から夜にかけては考えを泳がせるようにしていた

そんな中、これからに向けてのプロジェとして固まってきた一つについて、大きな枠組みを文章にするという作業を行ってみた

少し離れて見れば、パリのアトリエに籠り、これからの指標となる考え方を素描していたと言えるかもしれない


今日は朝の内は雨模様であったが、次第に明るさを増しそうである

気持ちは鎮まったままなので、今日も昨日の続きをやりたいものである

いつの日か、昨日がその初日であったと言える日は来るのであろうか










2024年6月14日金曜日

香港の高校生からインタビューを受ける



















今日、香港のハロー・インターナショナルスクールの学生さんから免疫に関するインタビューを受けた

Hanson Wenというその学生さんは、LinkedInに先日出した拙著 Immunity の案内を見て興味を持ち、インタビューを申し込んできた

積極的で、意識が開かれた高校生と言ってよいのだろう

本はまだ刊行されていないので、認知の要件に関する minimal cognition 問題について触れた論文を読んでから議論することになり、今日を迎えた

使い始めたばかりの LinkedIn が思わぬ効果をもたらしてくれたことになる


インタビューはかなり専門的でポイントとなるところをついてくるもので、現代の高校生のレベルの高さに驚いた

後半では、Immunity の内容についての質問もあり、関心の高さがうかがわれた

これから科学の世界に飛び出そうとしていると思われる若者が、哲学的な事にも興味を持っている様子が伝わって来た

それに比して、わたしの答えは何とも心許ないものとしか言いようがなかった

対象となる人たちの内的世界への想像力が欠けていることも一因だろう

日頃から第三者に説明したり、ディスカッションするという状況に身を置くことが大切なのかもしれない

また、英語のトレーニングもし直さなければならないだろう

相変わらず内に抱いている、庵に籠っている哲学者というイメージを改めなければならないかもしれない

いずれにせよ、久し振りに現世に晒されたような気分で、これからに向けての課題も露わになった








2024年6月13日木曜日

テオドール・ルソー展を観る
































今日は午後から19世紀の風景画家テオドール・ルソーの展覧会を観るため、プティ・パレまで出かけた

先日街中でポスターを見て興味を持ったからである

短い時間ではあったが、静かな景色を堪能した

エコロジストの先駆けではないかとの見方もあるようだ

以下にいくつか紹介したい













































































会場を出た後、デ・プレ駅まで歩き、そこからメトロで帰って来た












2024年6月12日水曜日

パリ18日目の雑感



















今日の午前中は、部屋と近くのカフェを往復しながら考えをまとめていた

朝の空気の中、カフェに座り考えを巡らすというのは、何ものにも代えがたい時間である


こちらに来てから、ヨーロッパの音楽をいろいろ聴くようになっている

先日も少し触れたが、こちらで彼らが演奏するのを聴く時、日本では感じられない何かを感じる

彼らにとっては身近だが、我々にとっては超えられない一線があるようなそんな領域にある芸術のような気がするのだ

この感覚は、年とともに深まってくるようである

逆に言うと、そういう認識の下で味わうというのも興味深いのではないだろうか


ところで先日、今回のパリ滞在はスローターダイクさんの講義を聴くために来たようなものだと書いた

この間、カンギレム関連のものにも反応することが少なくなかった

免疫論でその入り口に立ったからだろうか

カンギレムが若き日、リセの先生だったアランと共にオーギュスト・コントをしっかり読んでいたという

こういう繋がりが、興味を倍加する


また本日、カントを少し齧ってみた

余りにも偉大なものには近づくのを避ける性向があるためか、これまで敬遠してきた哲学者である

ところが、わたしの問題意識とも重なるところがあり、意外に面白いかも、と思わせてくれた

暫く様子を見ることにしたい







2024年6月11日火曜日

パリカフェ、拙著 Immunity の校正が終わり印刷へ、そして真に自由な時間について


























昨日の散策中、パリカフェの会場となったビルが現れ、昔を思い出した

もう7年も前のことになる

初回の記録に、わたしの真理と絶対的真理について簡単な考察がされているのを見て、驚いた

もう記憶から消えていたからである

いつ再開できるのかは全く分からないが、一応アクティブな会として残しておくことにしたい


ところで、拙著 Immunity のコピーエディティングが最終的に終わり、印刷に回ったとの連絡が入った

刊行は8月5日と決まったようだ

これで完全にわたしの手を離れたという感じである


今日も午前中から外に出て、考えをまとめていた

偶に街路に目をやると、人々が自由に動いている

おじいさんが電動式のキックボードで颯爽と行くのが見える

それだけで気分が高まる

昨日手に入れたビョンチョル・ハン著『瞑想的生活』の冒頭に目を通す

タイトルに『あるいは活動しないことについて』と付いている

ここに書かれてあることは、わたしがフランスに渡ってから感じ続けていることと完全に重なる

仕事の論理の中にある暇な時間は次の仕事までに空き時間で、生の活力や躍動とは無縁であり、そこには瞑想が欠けているという

真の自由な時間にはこの二つが含まれている

それが可能になるのは、目的のない生活ができるようになったからではないか

このような時間を持つことができることが幸福の条件ではないかという

何等かの活動をしていなければ落ち着かない状態では、そこに至らない

自らの経験に照らすと、その主張は手に取るように分かるのである