2025年4月27日日曜日

春のカフェ/フォーラムシリーズに寄せられたコメント(3)



































今日は、3月8日に開催された第13回サイファイフォーラムFPSSについて紹介したい


プログラム:

1)矢倉英隆:シリーズ「科学と哲学」⑦ プラトンの宇宙観

2)細井宏一:人文科学と自然科学の間にあるサイエンス ~考えるということ~  ——啓示か、観察か、それとも・・・——

3)岩倉洋一郎:科学は自らの発展を制御できるのか?


寄せられたコメント:

◉ 昨日は私も改めて自分の人生(哲学研究)を振り返るよい機会となりました。ありがとうございました。拙い文ではありますが、昨日の感想を送らせていただきます。

● 矢倉先生のご発表については力が及びませんでした。目的論という観点で言えば、アリストテレスのそれとの対比の意味で、よい復習となりました。また、「あれ、そんなこと書いてありましたっけ?」という発見も結構ありました。自力で読むという頼りなく孤独な作業が、先生の丁寧な解説により、さらに豊かなものになりました。ありがとうございます。

●「人文科学と自然科学の間にあるサイエンス」について

「考える」ということがこれまでの会社員生活で欠落していたと気づかれる契機として、大阪大学の臨床哲学に触発された部分もあったのではないかと思いましたが、そうでもないということでした。発表のなかで触れられていた梶谷真司氏が推し進める哲学カフェでの「問う-考える」営みは、もとはと言えば、大阪大学の臨床哲学研究科がアカデミックな機関としては最初に日本に持ち込んだからです。

アヴェロエス、アクィナス、ボナヴェントゥラの3人の神学者の対比がわかりやすくまとめられ、より理解が進みました。「二重真理説」は、本来ならカントの理論理性と実践理性を分ける態度に通ずるものがあり、もっとシンパシーを感じてもよいはずですが、どこか「詭弁」めいたものと捉えていました。しかし今回の発表を拝聴し、むしろ二重真理説を好意的に受けとめるようになりました。

 ●「科学は自らの発展を制御できるのか?」について

前回のご発表と同様、科学者の側から危機感を発し、哲学(倫理学)が要請されているということに驚きを感じるとともに、社会にまた一つ希望を見出した気がしました。科研費研究においてもヒトの遺伝子操作に関する哲学研究が行われているにも関わらず、科学者に届いていないということは、もしかしたら声明や提言を出すまでに至っていないのかもしれないと、後から思いました(政治活動と一線を画しているつもりか?)。ですから今回出てきた「サイファイ研究所 ISHEとしての発信(?)」といった提案は非常に有意義な社会実践的な話であり、期待したいところです。

エンハンスメントを規制する説得力ある理由が見当たらないことについて。あらゆる危険や格差が克服された後にも最後まで残るであろう薄気味悪さや畏怖の念といった直観的な理由や生物学的多様性が損なわれるという理由以外に、その是非や自己決定権の割合はともかくドーピングや美容整形は少なくとも本人が自らの意志のもとで行なう行為であるが、エンハンスメントは本当に胎児が望んでいるかどうかわからないものを、所与のものとして施してよいのか、という問題に関わると、これも後からふと浮かびました。


◉ 3月は大変お世話になりありがとうございました。大変遅くなりましたが13-FPSSのコメントを送らせていただきます。よろしくお願いします。

● 矢倉先生の「哲学と科学シリーズ」⑦は、「プラトンの宇宙観」でした。プラトンはエンペドクレスの四元素とテアイテトスの幾何学の影響を受けその宇宙観を形成していったということでした。四元素を幾つかの正多面体との幾何学的な関係で示しています。その図を見せていただきましたが、私は全く理解できず、これはなにか比喩的なものであるのかという質問をしたところ、ハイゼンベルグもその図を見て全く不条理でその意味が何であるのかを理解できなかったという例を示していただきました。ハイゼンベルグのプラトンの本を読んだ最大の収穫は、結局、物質世界を理解しようとするならば、その一番小さな部分について数学的な形式を見つけるそれ以外にないのではないかという確信であったということでした。天才物理学者は同じ図を見ても到達点が違うと思いました。私が驚いたことは、プラトンにみられる「自然を超える存在」を認める宇宙観と「自然」が構築する宇宙観との対立が人類の歴史上このころに始まり、哲学史の底流を流れる大きな問題として、現在まで引き続き継がれているということでした。

● 細井先生の「人文科学と自然科学の間にあるサイエンス~考えることー啓示か、観察、それとも・・・」は、科学者であり宗教家である細井先生が、哲学、神学そして科学の歴史を遡りそれらの関連性を広範な資料で示してくださいました。浅学の私にはその内容に追従できない部分も多々あり、質問もプリミティブなことばかりでした。ギリシャ哲学と神学の関係、神学における科学への動機とその位置づけ、そして現代へと続く科学の形而上学化、やはり問いをたて「考える」ためには基底を学ばなければと改めて思いました。

● 岩倉先生は「科学は自らの発展を制御できるか」で、現在の人類が科学技術の進展により直面したAIと遺伝子改変の問題を採りあげてくださいました。どちらもこれまで科学技術がもたらした危険性とは全く異質なもので、取り扱い次第では人類が違う種へと移行してしまうかもしれないような問題なのかもしれません。国家、企業体そして個人は、倫理観も価値観もそして正義もそれぞれの立場により異なったものであります。さらに、そこには過当競争が存在します。これらの事柄からはいろいろなストーリーが生み出され、未来の予測は全く不能です。制御は極めて困難であろうことが予想されます。しかし、現実はこれまでどおり試行錯誤で進んでいくことになるのでしょうが、AIも遺伝子改変も進歩の速度がこれまでとは桁違いに早いです。矢倉先生の言われるように「宗教・哲学・精神的探究を重視する生き方の探究」を志向する人を増やしていくことが、科学の発展を自ら制御する唯一の道であるように思われました。












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