Carl Jacob Burckhardt (1891–1974)
今日の午前中は、5月の記録を読み直していた
この月も Immunity の校正や索引づくりに追われていた
この間、パリメモを読んだり、Evan Thompson (1962-) の Mind in Life (2010) を読んだりしていた
パリメモは15-6年前のものだったので、出てくる出来事のことは覚えているが、細かいところの記憶は薄れていた
振り返れば、科学の領域にいる時、これほど前のことを調べようなどと思ったことはあるだろうか
その点だけとっても、パリ生活はわたしにとって特別なものだったことが分かる
このような記憶の薄れが起こっていることについて、理由が考察されているところがあった
2022年、2023年、そして今年と、パリ生活をもとにした著作をまとめることができた
そのため、パリメモにある世界との緊張関係が緩んできたのではないかというものだ
これまでは、できないまでもパリメモを読み返さなければならないという強迫観念のようなものがあった
しかし最近では、第三者が書いたものがそこにあるという受け止めになってきている
それは時の流れということなのか、あるいは同時に、どこかへの旅立ちの時であることを意味しているのだろうか
5月の記録を読み返していて、その萌芽が見られるようにも思った
それから、どこで拾ってきたのか、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルト(1891–1974)という馴染みのない名前がメモされていた
早速ウィキに行って経歴を読み、次のような言葉に反応していたことが分かった
● 1846年に教職をなげうって「人間となるため」ローマへ行き、
● ニーチェは他への書簡でも「この隠者のように人と離れて生活している思想家」について尊敬の念をあらわし、
● 「直観から出発することができない場合、私はなにもしない」
● 彼の情熱は芸術と学問の歴史、「選ばれたもの」「偉大なもの」に向けられ・・・卑俗なもの、打算を軽蔑していた
● ヘーゲルを嫌悪し、歴史哲学には関心がなく、体系を造る者ではなく、あまりにも個性的であったので学派も形成しない
Charles Taylor (1931–) が 92歳にして Cosmic Connections: Poetry in the Age of Disenchantment (Belknap) という魅力的なタイトルの大著を出した、というメモもあった
そして、5月下旬にはパリに向かった
今回は、翻訳を抱えていた昨年とは違い、手ぶらで行って、パリの空気に身を晒しながら考える方が面白いのではないかと考えて
ところで昨日は、引用元を探すために図書館へ
すぐに見つかるかと思ったが、本の中で最も長い章で150ページほどあったので一苦労する
見つけた時は、お前さんここにいたのか、という感じでスッキリした
この感覚は、この領域に入った当初からあったもので、何とも言えないものがある
車を運転中に懐かしい歌声が流れてきた
その昔聞いた声という意味だが、歌声に懐かしさがあるとも言えそうだ
全く肩に力が入っていないさりげない歌い方なのだが、遠くに広がる景色が見えるようである
その時の曲とは違うが、一曲聞いておきたい
0 件のコメント:
コメントを投稿