このところ、就寝前には「医学のあゆみ」のエッセイシリーズ「パリから見えるこの世界」を少しずつ読み始めている
それを新鮮なものとして(=恰も第三者が書いたもののように)である
丁度良い距離感を保つことができる時間が経過しているのかもしれない
ほとんどは体に沁み込んでいるのだが、細かいところで忘れていることもある
それが蘇ってくるのは、何とも言えず良い
総じて感じることは、よくこれだけ書いてきたものだということだろうか
書いている時はそんなことは気にもかけず、全身で打ち込んでいた
まさに、頭と体を動員しての作業であった
また、パリやトゥールの町と対峙するように、あるいはその空気を十分に吸い込みながら書いていたことを思い出す
その意味では、あの環境が目に見えない形で、考えることにも書くことにも影響を与えていたはずである
あの時期でなければ生まれなかったエッセイ群ということになる
それともう一つ感じたのは、このエッセイを書いている間に、自らの思想というか、考え方の軸というものが固まってきたのではないかということだろうか
当初、いずれそういう時が来るのではないかとぼんやり思ってはいたが、明確に意識したものではなかった
フランスに渡って10年ほどは、思考するとはどういうことなのか、どのような問題について考えていくべきなのかについて、過去人の遺したものを参照しながら探っていた
いわば、沈潜の時代である
フランスでの時間をこのようなことをやるためのものであると捉えてはいたが、どれだけかかるのかは分からなかった
結果的にこれだけの時が流れたということになる
そしてその後は、それまでに蓄積されたものを解きほぐして外に出す時期に入っているようである
これも意図したことではなく、何かに導かれるように歩んできた結果である
これからもこのような時期が続くような予感がしている
今日はこのところの習慣から話が膨らみ、フランスに渡ってからここまでの17年を振り返ることになった
今年はこれまでにない振り返りモードの中にいる
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