Karl Jaspers (1883–1969)
今日は10月の記録を読んでいた
中に、Youtube(出典の記録はなかった)で見たヤスパースについて、次のようなコメントが残っていた
かなりの批判精神の持主であったようだ
目標をしっかり持ち、自分の求めるものに向かって不遇の時代にも自らの哲学に打ち込んだ
ハイデルベルクの哲学教室を主宰していたハインリヒ・リッケルトは、彼のことを医者崩れの哲学者と評していたようだ
それに対しヤスパースの方は、リッケルトをマックス・ヴェーバーの注釈にしか出てこなくなるような人物だと見なしていたという
ヤスパースは、歴史の流れの中で現在の仕事を考えていたことが分かる
このことは、今、何者かであろうとして仕事をするのではなく、時の流れを超えた視座から、自ら求めるところを探求することが重要になることを示唆しているのではないか
10月もいろいろなことに手を出していて、定まりがなかった
このように日替わりで変わることは、これまでにはなかったのではないだろうか
免疫についての思索の跡を日英で発表したことが、大きな区切りになっていたことを想像させる
一つのことをやれば、これは違うのではないかと思い、別のことを始めれば、これも違うと言って他に移っていくといったことの繰り返しであった
ただ、この数カ月の全体を振り返っている時、そこでやっていたいずれもが無駄ではなかったように見えてきた
言葉を換えれば、この間に手を出していたプロジェなるものは、どこかで自分に触れるところがあるものだが、今はその時ではないということである
つまり、将来、それぞれについての「その時」が来るかもしれないということを含意している
そう考えると、希望のようなものが湧いてくる
何をやっていても、しっかりやっていれば、その試みは無駄ではないということなのだろうか
これからを観察したい
そして、10月下旬には秋のカフェ/フォーラムシリーズが札幌で始まり、パルメニデスについて論じ合った
その後は、11月に開催予定の東京での会の準備に追われていた
1年の記録を読むという初めての試みは、それなりの効果をもたらしてくれた
次は来年のお楽しみとしたい
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