2026年3月30日月曜日

下村観山展でディオゲネスを観る

 













先日の学友との会食の後、これまでの記録を読み返してみた

そうしたところ、興味深いことが見つかった

プラトンによれば、そのものの本質は原初にあるという

真の原初ではないが、これから社会に出て歩み出す以前の学生時代は、一つの原初と捉えられないこともない

ひと昔前の会食で、友人の一人がわたしのことを「学生時代から『超世俗的』で、今も変わっていないからなぁ」というような形容をしていたという件があった

 学友といつもの談笑、あるいは目の前の鏡(2017年10月30日)

「超世俗的」という言葉はわたしの辞書になかったので、それまでそうとは意識されていなかったようである

今、改めて振り返ってみると、わたしの本質に近いところのものが学生時代にすでに表れていたと読み取ることもできる

「超世俗的」と言えば、わたしの心の師になっているシノペのディオゲネス(c. 412–323 BCE)の本質そのものとも言えるだろう

そう言えば、最初のエッセイ集の表紙も素晴らしいディオゲネスであった



















今、近代美術館で下村観山展が開かれている

下村観山(1873–1930)がディオゲネスを描いているという話を聞き、出かけることにした

会場はそれなりに混んでいた

多くのテーマがわたしの興味の外にあったので、それほど長居はしなかった

目的のディオゲネスの絵は2つあった

撮影が許されていたものが以下のディオゲネス






















撮影不可だったのが以下の絵になる




















©The Trustees of the British Museum


こちらは東洋の諦念のようなものを感じさせるのだが、、

外はすっかり春めいていた







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