2025年11月30日日曜日

仙台で旧交を温め、『生き方としての哲学:より深い幸福へ』を人生の指針に



























昨夜は、昔の研究仲間で、退職後は臨床のお仕事をされているお二方との会食があった

いつもとは異なり、かなり離れたところにあるお店での語らいとなった

お一方はひと月前に突然奥様を亡くされたとのことで、辛い時期をお過ごしのようであった

日頃から批判的なことを聞いていることが多かったとのことだが、それがなくなった後の寂寥感は耐え難いものがあるとのこと

このような時期にお時間を割いていただいたことに感謝したい


最初に、わたしの近著『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』の話題を出そうとしたのだが、お一方はすでに購入され、3回は読み込まれているとのことで驚く

お話を伺うと、自らの生活を見直すきっかけになったようで、執筆の目的を達したと感じた

その中でピンとこなかったことがあるという

それは何だったのかを伺うと、「自分自身と会話する」とか「内的空間を充実する」とはどういうことを言っているのか掴めなかったという

記憶には残っていないのだが、以前に自然に囲まれた別荘にお呼ばれした時に、わたしが「ここは自分と対話するのに最適ですね」と言ったこともあったようだ

日常生活に追われていると内的対話の時間が取れないため、その内容が分からないということなのかもしれない

それだけではなく、一人になって自分と向き合う時間が怖いので避ける傾向があるとも言っておられた

これはまさにパスカル(1623-1662)が指摘していることで、人間が抱えている問題がそこにあるということなのだろう

自らに向き合う時間を増やし、日々の瞬間瞬間を味わい尽くすように生きると、人生の景色は大きく変わってくるのではないだろうか

そのあたりは近著に詳しいのでお読みいただければ幸いである

いずれにせよ、今夜のお話は著者冥利に尽きるものであった


また仕事の関係で、いろいろな方の人生の最後のステージにお付き合いすることが日常になっている方のお話で印象に残ることがあった

それは、過去における悔恨や現在の状態に対する不満が重くのしかかり、寝ることができずに夜を過ごしている方が少なくないとのお話があった

多くの方が自尊心を持ちながら生きてきたものの、最終段階を満たされない気持ちを抱えながら終えようとしているのを見ている気持ちはどんなものなのだろうか

古代ギリシア人であれば、心を苛む過去の激情や未来に対する不安から解放されるには、現在(いまここ)に集中するしかないというアドバイスを与えてくれることだろう

しかし、それを実践するのは意外に難しいということなのかもしれない


ものの見方次第で、これからの人生は益々豊かさを増してくるものと考えている

それは、いわゆる仕事をしているときには感じることができなかったようなレベルの豊穣をもたらしてくれるという意味である

その際に参考になる見方や考え方を教えてくれるヒントは、人類の遺産の中に眠っている

お話を伺いながら、その入り口として『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』は一読に値するのではないか

そんな我田引水の感想が浮かんでいた

そして、このような思索が巡る交歓も人生に豊かさを加えるものであることを再確認した一夜でもあった

またの仙台訪問が遠からぬことを願っている



******************************************

上の記事を書き終わった後、自己との対話に関連することを以前に書いていたことを思い出した

以下に貼り付けておきたい

 静寂と沈黙の時間、あるいは自己を自己たらしめるもの.医学のあゆみ 266: 184-187, 2018

ここには当日話題になったもう一つの問題に関連することも取り上げられていた

人生の最終盤に襲ってくる悔恨の念についてである

これほど今回の会食の話題に相応しいエセーもないだろう

是非一度お読みいただければ幸いである










0 件のコメント:

コメントを投稿