2025年11月14日金曜日

第22回サイファイカフェSHEで免疫を統合的に議論する






















本日は第22回サイファイカフェSHEを開催し、拙著『免疫から哲学としての科学へ』を読みながら免疫を広い視野から検討した

免疫の本質に至る方法として、解析の対象になるものをできるだけ多く集め、そこに共通して見られる最少要素を探し出すというやり方を採用した

これはソクラテスがやった方法と同じで、アリストテレスはそれを本質を抽出する方法と見なした

その結果、本質的な機能要素として、認識、情報統合、反応、記憶の4つを抽出し、この過程を「認知」と仮に規定した

これは神経系と同じ機能要素で、最近の免疫と神経の直接の結びつきを示す結果はその前提を補強するものである

つまり、免疫は全身が一体となって機能する生存に不可欠の要素であることが示唆される

そこから、スピノザの「コナトゥス」とカンギレムの「規範性」を参照して、免疫を見直す作業を行った

これは著者が言う「科学の形而上学化」の過程であるが、その意義についても議論された

詳細は近いうちに専用サイトに掲載する予定である

訪問していただければ幸いである


























今回で『免疫から哲学としての科学へ』の読書会を完了したことになる

懇親会では、これからも免疫をテーマにした会を継続してほしいとの声が聞こえた

例えば、クリルスキー著『免疫の科学論』やコサール著『これからの微生物学』などの書評会あるいは読書会など

その他、今回の免疫論に続く「免疫論2.0」とでも呼ぶべきものが生まれるようであれば、それについての話があっても面白いのではないか

非常に積極的かつ具体的な提案があったので、来年に向けて考えておくことにしたい

決まり次第、お知らせする予定である

参加された皆様に改めて感謝したい




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jeudi 20 novembre 2025

本日までに以下のコメントが届いております。


◉ CRSPR/Cas9を免疫に含めるかどうかについてやや議論が混乱した印象がありますが、結局、免疫の定義が不明確であったため起こったものと考えます。獲得免疫を念頭に置くのか、それとも自然免疫を含めた広い概念を指すのかによって、かなり議論が変わってきます。先生が免疫の本質的要素として抽出した、認識、情報統合、反応、記憶という4つの要素は獲得免疫系が持つ特徴で、教科書的には自然免疫では認識、即反応と考えられており、情報統合、記憶は無いというのが一般的な捉え方だと思います。もっとも最近、Neteaらは自然免疫にも記憶がある、と言っていますが、確かに一部では正しいのだと思いますが、必ずしも全ての自然免疫に記憶があるとは言えないと思います。従って、CRSPR/Cas9を含めた免疫系にこのような4要素がある、というのは言い過ぎでは無いでしょうか。また、このような要素が神経系と共通するから精神活動が神経系の独占物では無い、というのも説得力に欠けると思います。むしろ、IL-1, IL-6, IL-17, TNFなど多くのサイトカインが免疫系と神経系で共通に機能しており、精神活動に影響を及ぼすことが両者の近縁性を示しているのでは無いでしょうか。


◉ 免疫を起点とした科学の形而上学化に対する矢倉先生の思索の道程を、4回の議論で理解、咀嚼して、科学の形而上学化に対する適切なコメントを述べるだけの学識経験が私にはありませんので、感想という形でコメントさせていただきます。 

 本書では、矢倉先生が免疫の研究者としてそして哲学者として、膨大な免疫研究の情報を時系列に集積しそこに横たわる様々な課題を免疫のみならず哲学的な視点からそれらを見直し全体として繋ぎ合わせ、免疫の本質とは一体どにようなものであるかを考察されています。この方法はプラトンの本質主義に近いものであると述べておられます。そして、免疫はすべての生物に偏在し生命の維持に不可欠である。免疫はオーガニズム全体で担われていて、神経系や内分泌系などのシステムとも連動し生体を制御している。さらには免疫の本質には生物学的極性を制御する規範性(倫理性)を伴う心的性質をも包摂するものではないかと思考の輪を広げています。 この免疫という複雑科学を形而上学化するという試みは、その先にある「心」とは「生物・生命」とはそして「自然」とはなにかという問いへと繋ながる一里塚のように感じました。科学と社会の発展を漸進的に実践している矢倉先生の姿がそこには見られます。これからの科学者が持つべき姿勢、あるいは指標が表出しているように思われました。 

 本書で取り上げられた免疫とはなにかという問いは、本書が刊行される以前の12-SHEミニマルコグニション(2017.10.24)に遡ります。ここでは認識(認知、心性)を構成する最小要素(ミニマルコグニション)は何か、そして最初の認識能が進化のどのレベルで出現したかという問題がとりあげられています。私は免疫の知識もなくそして心的な活動とその進化をどのように考えるのかという意識もないままにこの議論に参加しました。内容をよく理解できなかったのですが直感的にミニマルコグニションは定義の問題ではないだろうかという意見を述べた記憶があります。 その後、本書が刊行され(2023.3.16)その合評会(17-SHE, 2023.11.17)が開かれてそこへも参加いたしました。免疫の専門家の方が半数参加されていたため、免疫研究そのものに対する議論は少なく主に科学の形而上学化の意義に議論が集中しました。私には免疫についても科学の形而上学化に対しても消化不良の感が残りましたので、他のカフェの懇親会の折に、矢倉先生に本書を題材にしたシリーズでの議論の場の設定を提案したところ矢倉先生はそれを実現してくださいました。 

 4回のシリーズを終えて、結局、免疫を理解する鍵であるミニマルコグニションをどう定義するかについては、私自身は免疫における4つの機能的要素(抗原刺激の需要、情報の統合、適切な反応、経験の記憶)を心的要素を含んだミニマルコグニションと定義していいのではないかと考えました。しかし、免疫の専門家の方からはその機能は生体防御であり、そこを科学的に明確な根拠なく心的要素を導入し踏み超えるべきではないという意見がありました。議論が偏ることなく展開されています。現時点では大多数の専門家が合意する定義は存在しないように見えます。これは、早急に結論を求めるべきでない、あるいは求められない問題だと思います。形而上学的な視点を持ち循環論に陥らずオープンエンドで科学の進展を待ちつつ定義すべき課題と思います。 

矢倉先生は、なぜこのような科学の形而上学化を行う必要があるかという問いに対しては、科学は局所を機能的に解析する方法であり全体的な意味を問わない、問うことができない。そして形而上学からは科学で得られない意味に関する視座を得ることができる。結局、我々の認識を豊かにする科学と文化の架橋(形而上学による知の再統合)に「意義」を見出せるかがカギであると述べておられます。 科学の形而上学化の必要性とその意義については、参加者全員が賛意を示されたと理解しています。 貴重な議論に参加させていただきありがとうございました。 












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