今日は恒例になっている学友との会食がいつもの場所であった
昼間から日本酒を飲むことなどないので特別な時間となった
お酒が体の底をふんわり浮かせるような仄かな感覚の中、越し方に思いを馳せながらの味わい深い会話が進んだ
わたしの近著『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』にも目を通していただいたようだが、難しいという評価であった
科学の領域に長い間身を置いていた場合には、そう感じるのかもしれない
もう一つは、ベルクソンカフェで読んだ本の内容をそのまま紹介するようなところがあるので、わたしの言葉というよりは原著者の言葉が出てくるためではないかと想像した
それから、最後に出てくる時間の感じ方のところで、点としての現在ではなく、「過去がそのあたり一面に散らばっているような」複雑な現在という捉え方には納得するところがあるという感想も聞かれた
いずれにせよ、自分が感じ取った経験がない場合には、言葉を読んでもピンと来ないところがあるのではないかとのことであった
その意味では、自分の知っていることしか理解できないという矛盾の中に入ることになる
プラトンの時代からのジレンマと言えるかもしれない
来年も味わい深いお話をしたいものである

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