今日は完璧な快晴
それを見ているうちに紫煙の色を味わいたくなり、久しぶりにシガーに手が伸びた
暫くすると、このところ、このように晴れ上がった内的世界が広がっていないのではないかという疑問が湧いてきた
2007年に全的観想生活に入ったわたしの第4期前半(近著『生き方としての哲学:より深い幸福へ――アドー、コンシュ、バディウと考える』 p. 112-117、参照)には、頭の中を整理したいという渇望があった
そのために必要となると考えていたものが目の前に広がっていた
それは、その性質上、茫洋とした捉えどころのない宏大さを湛えてそこにあった
その姿を見ようとして長い間耐えていたようなところがある
さて、ここ数日のこと
当時と同質の霞がかかったような何かが目の前に広がり始めているのではないか
その感覚は漠然としてはいるが、確かな存在感をもってわたしの中に生まれつつある
いつの日かその霞が晴れて、新たな視界が広がることを願いながらこれからを歩むことになるのか
そんな気分の仙台の週末である

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