これまで見たように、アリストテレス(384-322 BC)の自然学の体系内部には、探求者の「自然哲学」と理論家の「自然の哲学」が同居し、そうあることを理想としていた
しかし、彼の後継者や中世のアリストテレス学徒はこの課題を成し遂げるすべを知らなかった
彼らの中では、「自然哲学」と「自然の哲学」の間に亀裂があり、2つの学問の間の調和は消失していくのである
中世文明が確立した時期を見ると、ギリシア・ローマの自然主義の伝統を継承するロバート・グロステスト(c. 1175-1253)、ロジャー・ベーコン(1214-1294)、ヴァンサン・ド・ボーヴェ(c. 1184/1194–c. 1264)、アルベルトゥス・マグヌス(c. 1200-1280)などの探究者群が見られる
彼らは明晰な観察者であり貪欲な経験の蒐集者ではあったものの、認識の分散を克服して体系的全体へと統合させることには興味を示さなかった
しかし同時代に真の哲学的精神を発揮したのは、スコラの神学者や形而上学者の一派であった
中でも著名なのは、トマス・アクィナス(c. 1225-1274)である
しかし、彼の興味は神学であり、彼が付きあっていた科学は、モンテーニュ(1533-1592)に言わせれば、千年以上昔の書物の中の死んだ科学であった
「自然の哲学」が実験的探求から断ち切られていたのである
聖トマスの著作を見ると、「自然の哲学」に帰せられる形相性を通しての解析よりもはるかに多くの質料性において考察されている
「自然の哲学」の考察――原理と原因のレベルにおける世界の出来事の考察――を止めるのである
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