2025年9月14日日曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(6)





自然の定義の後に、自然活動を構成する四原因(質料因、形相因、作用因、目的因)に影響を与える条件 ≪宇宙論的カテゴリー≫ の考察が続く


1)偶然と必然: 

アリストテレス(384-322 BC)の自然学では、目的をもって(必然的に)運動・生成する
 
しかし、われわれの日常では目的もなく偶々起こることがある

アリストテレスは、一見すると目的論に反するこのような現象を説明する必要があった

この問題に対して、偶然を「秩序の外の混沌」ではなく、「秩序の中の副次的現象」として位置づけ、彼の考えの大枠を保持した


2)無限と空虚:

  デモクリトス(c. 460-c.370 BC)やエピクロス(341-270 BC)によれば、分割できない原子と空虚からこの世界は成り立っている

そこでは、いろいろな種類の原子が空虚の中を動く機械論的な世界が垣間見える

アリストテレスは、世界には「現実態における」無限はなく、「可能態としての」無限は存在するとした

さらに、そこには「現実的な」空虚も含まないとした

なぜなら、空虚の中では運動は無限の速度になるから

無限や空虚を認めると、目的論的世界観が揺らぐと考えたからだろうか


3)場所と時間:

アリストテレスの世界観の特徴は、次のように言うことができるだろう

第一に、重いものは低所に、軽いものは高所に向かうのが自然であるということと、第二に、存在は一続きの包まれるものと包むものからできているということがある

これにより、存在を限定し、そのものにとって自然な(目的に沿った)動きをすると理解していることが分る

アリストテレスの場所は「包むものの動かない第一の限界」と定義され、「不動の包むもの」である

これに対して、例えば液体を入れた瓶や船を運ぶ川は、「場所」というよりは「容れもの」になるだろう

時間は、運動と意識との依存関係で規定される

われわれの精神が全く動いていない(と思われる)時、あるいは周りの運動に気づかない時には時間が経過したように感じない

運動がない時には時間は存在せず、時間は運動の数によって測定できることになる

月下の世界の出来事は時間の中に包まれ、諸物体は普遍的な場所の中に包まれている
 
のちにプロティノス(c. 205-270)が言うような至福な、消滅を免れる存在は、時間の中に包まれてもいないし、時間で測定されもしない

最近のわたしの経験から想像するとすれば、これは絶対的幸福の状態と言えるのかもしれない










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