仕事の合間にYoutubeへ行くと、なぜか埴谷雄高(1909-1997)の『死霊』が出てきた
もう13年前になるパリで観たものだ
さらに遡れば、これが放送された30年前にも観ている番組になる
13年前の記録が前々ブログに残っているので、以下に貼り付けておきたい
「埴谷雄高独白 死霊の世界」 を観る(2011.5.2)
今回反応したところは、この中にすでに書かれてある
当初科学についてのお話がやや雑な印象を持ったが、 今回は特に感じなかった
それよりは、人間がこの世に在ることの意味について語っているところに、以前より強く反応したことの方が重要だろう
哲学的な問い、根源的な問いに向き合うために我々は生まれてきたというところである
前回は印象に残っていなかった吉本隆明(1924-2012)の埴谷評に関するところがよく理解できるようになっていた
それはこんなことだったように記憶している
精神の中にあることだけが本当に実在しているとし、日常生活にはどんな意味も持たせない
そのような認識に、ディオゲネス度が増してきたと評される自分自身も到達しているということなのか
0 件のコメント:
コメントを投稿