今朝、本棚の『大拙と幾多郎』(森清)に手が伸びた
その終章「世界を駆ける」を読む
大拙70代から95歳で亡くなるまでのことが書かれてあった
大拙についての文章は、なぜかいつも染み入る
もう18年も前になるが、このような生活に入る模索を始めて1年ほどが経っ頃に書いた記事の記憶が蘇ってきた
『鈴木大拙とは誰か』(上田閑照、岡村美穂子)を読み、大拙の一生を簡単にスケッチしたものである
鈴木大拙 DAISETSU SUZUKI, GRAND PHILOSOPHE BOUDDHISTE(2006.1.8)
「世界を駆ける」の章には、幾多郎の歌が引かれている
そのいずれもがわたしの内的世界と響き合うことに驚く
世をはなれ人を忘れて我はただ己が心の奥底にすむ
ここにある「奥底」について大拙は、「霊性的自覚からの言葉である」と書いているという
人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり
これを詠んだのは元旦で、その翌日には次の一首を読んでいる
あさに思ひ夕に思ひ夜におもふ思ひに思ふ我が心かな
すでに18年前に大拙の晩年の生活を知って驚いていたので、今回はそれを確認する時間となった
78歳の時(昭和24年)、第2回東西哲学者会議に出席するためハワイに飛ぶ
実はこの旅が、その後約10年に及ぶ海外生活の始まりとなった
アメリカのみならず、イギリス、ドイツ、イタリア、フランス、オーストリア、スイス、メキシコにも及んだ
そして88歳でアメリカから帰国、以降は日本を定住の地とする
大拙は、それまでは時局から距離を置くという姿勢を採ってきた
しかし、物質主義へひた走る日本を憂い、政治にも物申すようになっていたという
そのためには、自分はもっとファンダメンタルな、基礎を築くような仕事をしなければならないと考えていたようだ
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