2024年7月30日火曜日
やはり万物は循環しているのか
2024年7月29日月曜日
十牛禅図を見て
禅に十牛図という悟りに至るプロセスを10段階に分けて分かりやすく説明した図があるという
その10段階とは、ウィキによれば以下のようになっている
- 尋牛(じんぎゅう): 仏性の象徴である牛(真の自己)を見つけようと発心したが、牛は見つからない段階
- 見跡(けんぜき/けんせき): 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない段階
- 見牛(けんぎゅう): 行においてその牛を身上に実地に見た境位
- 得牛(とくぎゅう): 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます状態
- 牧牛(ぼくぎゅう): 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要になる状況
- 騎牛帰家(きぎゅうきか): 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もなくなる状態
- 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん): 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる状態
- 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう): 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる状態
- 返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん): ここに至り、何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入るようになる
- 入鄽垂手(にってんすいしゅ): 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益で、再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある
これを見て感じたことは、次のようなことである
そのような意識は全くなかったが、わたしがフランスに渡ってからやっていたことは禅の修業にも通じるものではなかったのか
この感覚は10年が経過したくらいからあったものだが、今回十牛図を見て、わたしの歩みと完全に重なっていることに驚いた
禅の言う悟りに至る道は、どうも洋の東西を問わず存在するようである
この春のサイファイカフェSHE札幌でも取り上げたプラトンの洞窟の比喩、向上道(アナバシス)と向下道(カタバシス)なども基本的には同じ考え方で貫かれている
新たな認識に至った朝である
2024年7月26日金曜日
Immunity: From Science to Philosophy が到着する
2024年7月23日火曜日
第11回サイファイフォーラムFPSSのまとめを終える
2024年7月15日月曜日
秋のサイファイカフェ/フォーラムの日程決まる
先週土曜にサイファイ夏のフォーラムが盛会の内に終わった
これから秋のカフェ/フォーラムに向けて準備が始まる
その手始めとして、日程を決める作業を終えた
この秋は以下のような予定で開催することにしたい
それぞれの内容については、追ってお知らせする予定である
この秋もよろしくお願いいたします
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◉ 2024年10月19日(土)
第12回サイファイカフェSHE 札幌
会場:京王プレリアホテル札幌 会議室
◉ 2024年11月6日(水)
第10回ベルクソンカフェ
会場:恵比寿カルフール B会議室
◉ 2024年11月9日(土)
第12回サイファイフォーラムFPSS
会場:恵比寿カルフール C会議室
◉ 2024年11月12日(火)
第12回カフェフィロPAWL
会場:恵比寿カルフール B会議室
◉ 2024年11月15日(金)
第19回サイファイカフェSHE
会場:恵比寿カルフール B会議室
2024年7月14日日曜日
東京滞在の「目的」が見えてきた、あるいは「目的」再考
今回の東京はトンボ返りのようなものであったが、いつものように非常に長く感じられる滞在となった
終わらないような感じとでも言えばよいのだろうか
今回の目的は、第11回のサイファイフォーラムFPSSを開催することであった
そうではあるのだが、それとは別に個人的な目的が新たに見えてきた
この滞在でもいろいろな心の動きがあり、今年後半に向けてのプロジェクトがいくつか明確になった
そうすると、プロジェクト間のバランスをどう取ればよいのかが新たな問題となるが、それも分かってきた
本当に些細な切っ掛けが視点の変換を促し、新しいところに連れて行ってくれる
ある刺激が引き起こす心の内の微妙な変化を見逃さないことが重要になることを再確認した
これからも注意深くありたいものである
昨日のFPSSでは、「目的」に関する話題が続いたが、わたしは日常における「目的」をこんな具合に捉えている
科学やプロジェクトと称する計画がしばしばやるように、仰々しくそのために歩むという対象ではない
いつも通り、日常の時間を充実させるつもりで歩むのである
そして、そこで感じる微妙な差異から何かが見えてくる
その積み重ねがある期間における成果となる
それをその期間の目的だったと考えるのである
このやり方は、到達すべきものを据えることがないので、不必要な精神的負担が全くない
その上、見えてくるものが当初は予想できなかったものであることが多いので、それだけ喜びも大きい
二重の意味で、我々の心身に善い影響を及ぼすのである
この視点から言えば、目的は排除するしないという問題の埒外で、常にそこにあるものなのである
特に、意味づけをしたい時には必須の要素である
わたしの場合、それを先に持ってこないことがポイントになる
2024年7月13日土曜日
第11回サイファイフォーラムFPSS、無事終わる
起きて時計を見ると1時を指している
今日もやってしまったか、と思って外を見ると真っ暗だったのでホッとした
昨日の一件がトラウマになっているようだ
こういう始まりだった本日、以下のプログラムで第11回サイファイフォーラムFPSSが開催された
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑤ ソクラテス以前の哲学者-5「デモクリトス」
(2)伊藤明子: 目的論と科学――カントの有機体論が開いた視座
(3)林 洋輔: 学問と「終極」の狭間をめぐる討議――体育哲学からの考察――
活発な意見交換が行われ、時間が不足するほどであった
詳細は、近いうちに専用サイトに掲載する予定なので、訪問していただければ幸いである
闊達な議論は懇親会においても続いていたようである
その他、主宰者に向けて想定外のサジェスチョンをいくつかいただいた
これからいろいろと考えてみることにしたい
具体化したことがあれば、FPSSのサイトに掲載する予定である
こちらもよろしくお願いしたい
なお、次回の第12回サイファイフォーラムFPSSは、11月9日(土)に開催予定です
プログラムは決まり次第、この場と専用サイトに公表いたします
併せてよろしくお願いいたします
2024年7月12日金曜日
体力の衰えなのか
今日はフランスでお世話になった方との会食があった
お元気そうで何よりであった
また、これから訪問したいところもいろいろあるようで、益々のご活躍を願いたい
この会食には大きな裏話があった
今日は朝から明日のFPSSの準備をしていた
昼過ぎには一応区切りがついたので、昼から少し休むことにした
そして目が覚めると7時をかなり過ぎていたが、自分の今いる位置がよく掴めない
朝の7時かもしれないし、19時かもしれない
それが19時だと気づいた時、パニック状態に
慌てて向かったが、1時間以上の遅刻だった
こういうことは今までなかったので、体力の衰え(回復力の低下)が近寄ってきているということなのだろうか
改めて、温かい対応に感謝したい
2024年7月11日木曜日
この身を動かす微かな切っ掛け
ほんのちょっとした切っ掛けで、何かが動くことがある
一瞬前には想像もしていなかった方向に
今回もそういうことが起こり、新たな方向に体が動くことになりそうだ
切っ掛けはフランスからのお知らせメールだった
そこからネット検索に行き、そこで見つけたことが次の検索へと導き、新たに見つかったことがわたしの心と体を動かすことになった
削除しようと思ったそのメールを読むことがなければ、こういうことにはならなかった
人生は本当に微妙である
先月からこのようなことが続き、いくつかのプロジェクトが生まれている
それはおそらく良いことなのだろうが、これからどのようにマネージしていくのかが問題になりそうだ
2024年7月10日水曜日
思想レベルの低下にどう向き合うか
2024年7月7日日曜日
鈴木大拙の晩年を再確認する
今朝、本棚の『大拙と幾多郎』(森清)に手が伸びた
その終章「世界を駆ける」を読む
大拙70代から95歳で亡くなるまでのことが書かれてあった
大拙についての文章は、なぜかいつも染み入る
もう18年も前になるが、このような生活に入る模索を始めて1年ほどが経っ頃に書いた記事の記憶が蘇ってきた
『鈴木大拙とは誰か』(上田閑照、岡村美穂子)を読み、大拙の一生を簡単にスケッチしたものである
鈴木大拙 DAISETSU SUZUKI, GRAND PHILOSOPHE BOUDDHISTE(2006.1.8)
「世界を駆ける」の章には、幾多郎の歌が引かれている
そのいずれもがわたしの内的世界と響き合うことに驚く
世をはなれ人を忘れて我はただ己が心の奥底にすむ
ここにある「奥底」について大拙は、「霊性的自覚からの言葉である」と書いているという
人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり
これを詠んだのは元旦で、その翌日には次の一首を読んでいる
あさに思ひ夕に思ひ夜におもふ思ひに思ふ我が心かな
すでに18年前に大拙の晩年の生活を知って驚いていたので、今回はそれを確認する時間となった
78歳の時(昭和24年)、第2回東西哲学者会議に出席するためハワイに飛ぶ
実はこの旅が、その後約10年に及ぶ海外生活の始まりとなった
アメリカのみならず、イギリス、ドイツ、イタリア、フランス、オーストリア、スイス、メキシコにも及んだ
そして88歳でアメリカから帰国、以降は日本を定住の地とする
大拙は、それまでは時局から距離を置くという姿勢を採ってきた
しかし、物質主義へひた走る日本を憂い、政治にも物申すようになっていたという
そのためには、自分はもっとファンダメンタルな、基礎を築くような仕事をしなければならないと考えていたようだ