今日は、第2章の第1節「構えとしての現象学」を読むことにしたい
現象学がどのような方法論を用いているのか、どのように実践されるのかについてのお話のようである
早速中に入りたい
日常生活において、専門家としてであれ、家族や仲間といるときであれ、われわれはその状況にただ身を晒している
フッサール(1859-1938)はこれを「自然的態度」と呼び、世界に対する反省のない向き合い方であるとしている
これに対して「現象学的態度」と呼ばれるものは、自然的態度から少し身を引き、その経験を見直そうとする
その際、判断を一旦保留して括弧に入れ(エポケー)、独断的にならずに自然的態度で経験した(われわれに現われた)ことを探究することになる
この過程は、哲学的には「現象学的還元」と呼ばれる
反省のない状態で世界にいる思考を否定するのではなくそのまま保持しながら、それがどのように受容され、経験されたのかに興味をシフトさせるのである
これなどは、前にある壁だけを見ていた人間の視界を、後ろの開けた(真理があるだろう)世界へと向きを変えるプラトンのやり方にも通じる
これは、哲学を通底する考え方なのかもしれない
現象学的還元は、心理学でいう「メタ認知」に導くとも言えそうである
第1段階でエポケーがあり、第2段階では現象学的心理学から超越的心理学への移行が起こるという
第2段階では、何があるかではなく、どのようにあるのか、その意味が問われる
そこには意識の志向性がある
「超越的」とは、われわれの経験の根源にまで至る構えを含意する言葉だとしている
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現象学的還元、エポケーなどを含む現象学の方法論を読みながら、フランスに渡る前にフランス人哲学者からいただいた言葉が浮かんでいた
わたしの拙いフランス語で書かれたブログをすべて読んだ感想として、端的に言えば、わたしはフッサールやハイデガーを愛するために生まれてきたという言葉が書かれていた
その意味は長い間よくわからなかったが、今回の説明を読むと重層的な意味を持っていたことが見えてくる
まず、2005年からブログを始めたが、これは意識を目の前のものを摑まえるだけでなく、少し下がってそれを別の角度から眺めようという心の動き(志向性あるいはその変化)の結果であった
ある意味、現象学的還元であり、エポケーにつながる動きである
2005年あるいはそれに先立つ数年は、意識の向かう方向に大きな転換が起こった時期に当たる
後に「意識と幸福の三層構造理論」を提唱しているが、その第1・2層から第3層への移行もまた、現象学的な変容と重なるところがある
こうして振り返ると、ここに至る芽は20年前にすでに出ていて、それを専門家は見抜いていたということになる
つまり、「意識と幸福の三層構造理論」に至る道は必然であったように見えるのである
それは同時に、この20年余りの間、全く意識することなく現象学を生きてきたことを意味している
「まず生きよ、それから哲学せよ」(primum vivere deinde philosophari)の結果辿り着いた驚くべき発見の朝である

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