2025年7月28日月曜日
5度目の穐吉敏子さん
2025年7月25日金曜日
第14回サイファイフォーラムFPSSのまとめ
2025年7月18日金曜日
第21回サイファイカフェSHEのまとめ
7月9日(水)に開催した第21回サイファイカフェSHEのまとめをサイトにアップした
『免疫から哲学としての科学へ』の3回目の読書会のまとめということになる
こちらから
「まとめ」とは銘打っているが、最近の傾向はまとめと言うより「再現」に近くなっている
変にまとめようとするのではなく、できるだけ具体的な内容を残しておこうという考えに変わってきたようだ
つまり、一次資料的な意味合いを持たせているのだろう
そういう資料がある方が、後々それをまとめるメタの思考をする際に有用になるのではないかと考えているのかもしれない
この読書会の最終回は、これまで明らかにされた科学的事実から想像を広げ、「免疫の形而上学」と題して、11月14日(金)18:00~20:30、恵比寿カルフールにて開催予定です
奮って参加していただければ幸いです
よろしくお願いいたします
2025年7月16日水曜日
2つの意識レベルの差異が何をもたらすのか

2025年7月12日土曜日
第14回サイファイフォーラムFPSS、盛会のうちに終わる
このところの猛暑に比べると、比較的凌ぎやすい一日であった
本日は、14回目になるサイファイフォーラムFPSSが日仏会館で開催された
プログラムは、以下の通りであった
(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑧ プラトンと医学
(2)武田克彦: 神経心理学の方法
(3)市川 洋: 社会の中の科学と科学コミュニケーション
要旨は、こちらから
欠席者が3名で、参加されたのは9名(若手が2名、内1名は初参加)であった
若い血(知)が注入されると、やはり会は活性化するように感じた
これからも新しい参加があることを願っている
議論はゆったりとしたペースで進んだが、問題点については触れることができたのではないだろうか
落ち着いてからまとめをする予定である
FPSSのサイトを訪問いただければ幸いである
2025年7月11日金曜日
第1回サイファイ対話 CoELP のお知らせ
2025年7月10日木曜日
高村光太郎の「パリ」
2025年7月9日水曜日
第21回サイファイカフェSHEで免疫を考え直す
今日は第21回のサイファイカフェSHEを開催し、拙著『免疫から哲学としての科学へ』を読みながら、免疫というものについて考えた
お忙しい中、また猛暑の中、お集まりいただいた皆様には改めて感謝したい
お陰様で、充実した議論ができたのではないだろうか
今日具体的にやったことは、前回積み残した第2章の最後の節「オーガニズムとは」から始めて、第3章「オーガニズムレベルの免疫システム」、さらに第4章の生物界における免疫システムを概観するところまでを読んだ
第4章の残りの3節は時間切れで、次回に回すことになった
今日の全体を通しての印象は、免疫なる機能が生物界に広く存在していること、その意味では生命の分布と重なること、また免疫機能は生体全体で担われていること、免疫内のサブシステムとしてこれまで考えられていた自然免疫と獲得免疫の境界もぼやけてきたことなど、視野を全体に広げることが迫られているということであった
免疫システムの捉え方も言葉の使い方も考え直さなければならない時期に来ているように見える
詳細については、近いうちに専用サイトにまとめる予定である
そちらを参照していただければ幸いである
なお、最終回の読書会は11月14日(金)の開催予定で、免疫の形而上学について議論することになっている
皆様の参加をお待ちしております
2025年7月8日火曜日
カーネル・サンダースさんの顔とショパンの顔
2025年7月7日月曜日
旧研究所のメンバーとの会食を楽しむ
2025年7月5日土曜日
田村、島両氏と的崎、渡邉両氏を仙台で偲ぶ
今日は仙台まで足を延ばした
その昔、同じ領域で研究していた田村眞理氏と島礼氏にお会いし、お話を伺うためである
昨年は都合がつかなかったので、2年振りということになる
今回は、昨年と今年相次いで亡くなった我々よりも若い世代の研究者、渡邉利雄、的崎尚両氏を偲ぶという目的もあった
まず田村、島のお二方とも現実世界と真正面から向き合っておられる
先日も書いた通り、ぶらぶら生活している者から見れば、それだけで敬意を表するに値する
これからどれだけ続けられるのだろうか
注目して見守りたい
仙台が以前にも増して近く感じられるようになったので、仙台訪問の機会を増やしてもよいのではないかというアイディアが酔いの中で浮かんできた
声に出してみたところ、それほど抵抗がないような印象を持ったので(あくまでも主観的判断ではあるのだが、)具体化に向けて検討する方向で進めることにした
ところで、上で「その昔」と言ったが、考えてみると科学研究を止めたのがもう二昔も前になろうとしている
ということは、仕事をしていた時期と同じ時間がもうすぐ流れ去ることを意味している
そんなに長い間無為の生活をしていたとは、驚くばかりである
あるいは、仕事をしていた時期が短かったということなのだろうか
フランスに渡った時を境に前と後ができたわけだが、その前・後で何がどのように変わったのか
これからも考えていきたい興味深いテーマである