2025年6月30日月曜日

アメリカ時代からの友人と会食

























相変わらずの異常に暑い空気の中、ボストン時代からお付き合いいただいている葛西氏と会食するために出かけた

その場所にはNew Yorkという名前が付いていた

前回お会いしたのはコロナ以前だったので、少なくとも5-6年振りということになるのではないだろうか

お元気そうで何よりだ

まだ研究を続けられているとのことで、もう20年近くぶらぶらしている身から見れば頭が下がる思いだ

半世紀の間、on & offで接触があるので、アメリカつながりの皆さんのその後を追うのも興味深い

人生は流れている

同じような環境にいたはずなのだが、知らなかったことが出てくる

欠けているピースが埋まるような瞬間があった


今回気づいたのだが、いつも静かな環境にいるせいか、人の話し声が耳に触ることがあった

これまではそういう経験はなかったように思うのだが、、、

またの機会にお話を伺いたいものである









2025年6月27日金曜日

イラン音楽で身を鎮める





今年も半分が経過しようとしている

年とともに時の流れが速く感じられるようになると言われるが、一瞬一瞬には実に多くのものが詰まっている

そう感じられるようになっているのは、もう20年になろうかという観想生活のお陰ではないだろうか

そこでは時間を味わい尽くすという精神が息づいている



それにしても暑い日が続いている

今日は午前中から外出

何かをやろうとするのだが、気分が乗ってこない

昼過ぎには引き上げることに

夏バテに入っているのかもしれない

体を鎮めるために、流れてきたイラン音楽に身を任せることにした















2025年6月22日日曜日

日と仏は理解し合えるのか


























今日も暑かったが、外に出てコンシュの『形而上学』について見直していた

きっちり読んで、批判的に見るというようなやり方ではなく、暑さの中、もやーっとした中から浮かび上がる像を観察するというやり方で


どれだけ一般化できるのか分からないが、フランス人の思考を日本人が理解することはあるのだろうか、という考えが浮かぶことがある

以前に(もう7年も前になるが)、クリルスキーさんの『免疫の科学論』を訳したことがある

その時にも感じたのだが、そこに描かれた免疫の像を掴もうとするのだが、砂が指の間から落ちるように逃げていくのである

わたしの中にある思考スタイルと違うからなのだろうか、という感想を持ったことを思い出す

今回のコンシュさんの形而上学の場合も、日本人が言う「分かりやすさ」を感じることはなかった

もちろん、対象に対する知識が少ないということもあるのだろうが、それ以上に、対象に向かう思考のやり方に違いがあるような気がしているのだが、



このように思考そのものに違いがある場合、それを理解するには、おそらく時間をかけて馴染むしか方法はないのかもしれない

忙しく生活に追われている現代人にとって、それは可能なのだろうか

もし昔のような生活を今もしていたとするならば、このようなことは視界にも入っていなかったであろう










2025年6月20日金曜日

リマインダー: サイファイ研 ISHE 夏のカフェ/フォーラムのお知らせ


























夏のカフェ/フォーラム東京シリーズが来月に迫ってまいりました

改めてお知らせいたします

ISHE研主催の会は、広く開かれております

皆様の参加をお待ちしております

よろしくお願いいたします



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◉ 2025年7月9日(水)18:00~20:30
第21回サイファイカフェSHE

テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む(3)――オーガニズム・レベルと生物界における免疫――

会場: 恵比寿カルフール B会議室




◉ 2025年7月12日(土)13:00~17:00
第14回サイファイフォーラムFPSS

プログラム:
 ① 矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑧ プラトンと医学
 ② 武田克彦: 神経心理学の方法
 ③ 市川 洋:社会の中の科学と科学コミュニケーション

会場: 日仏会館 509会議室




◉ 2025年8月2日(土)14:30~17:00
第14回サイファイカフェSHE 札幌

テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む(2)仮説、自己免疫、共生を考える

会場: 札幌エルプラザ4F 特別会議室

*会場と開始時間がこれまでと違いますのでご注意ください















2025年6月14日土曜日

マルセル・コンシュ『形而上学』、最初のバージョンを終える


























雨垂れが石を穿つように目に見えない変化を追いながらの日々であったが、やっと穴が開いてくれた

マルセル・コンシュの『形而上学』を最後まで訳し終えた

何だかんだ言って、半年かかったことになる

これから全体を見直すことになる

翻訳をやっていて感じるのは、翻訳前に読んだ時と訳し終わった後のイメージがガラッと変わることである

その本の構造が見えるようになり、著者の考えがより鮮明にニュアンスをもって迫ってくるようになる

普通に読む過程では、そこまで丁寧には読んではいないということだろう

これから全体を見直す中で、コンシュの考えがさらに明確になることを期待している



今回の経験からも、普通に読んでいて、どれだけその本の真意を汲み取ることができるのかという疑問が湧いている

ほとんど理解できていない可能性さえある

今、カフェで拙著の読書会をやっているが、その過程でも感じていることである

多く読む必要はない

「精読」ということにも意識を向けて行きたいものである










2025年6月10日火曜日

夏のカフェ/フォーラムに向けて動き出す





















昨日、古いブログ Mind Files for Philosophical Musings を蘇らせるべく、最初の記事を書いた


18年前に始めた観想生活が今どんなところに来ているのかという分析をスケッチしたものだ

自己評価すれば、それなりに書けているのではないだろうか



ところで、夏のカフェ/フォーラムがひと月後に迫ってきた

そろそろ準備を始めなければならないだろう

一つのテーマは、プラトンの人体論と医学観がどういうものであったのかを理解すること

もう一つは、拙著『免疫から哲学としての科学へ』の第3・4章を読み直すこと

そして、そこから新しい段階につながる糸を探し出すこと

8月開催予定のSHE札幌でも同書の第2章を読む予定だが、これは東京の会が終わってからにしたい

いつものことながら、ひと月でどれだけのことができるのかは予想できない

ただ、更なる問いが現れることを密かに期待しながらの作業になることだけは間違いないだろう








2025年6月8日日曜日

古いブログを再生させる


























2021年11月に立ち上げた Mind Files for Philosophical Musings(哲学的省察のためのマインドファイル)というサイトがある

立ち上げから4年になろうとしているが、意識から消えていた

今朝、偶然にも目に入り、中を覗いてみたところ、僅か数か月後から書き込みがなくなっている

ここは、2008年から記していたパリメモを読み直すというプロジェのための場であった

このように短期間で挫折したのには理由がありそうだ


一つには、十数年前の興味とズレてきたことがあるだろう

自分の中では貴重な経験だと思っていたので、それを咀嚼し直したいという願望があった

しかし、今の感覚でこそ一昔前のことでもすぐ手が届く、そこに在るものなのだが、昔の感覚で言えばやはり大昔になる

ズレが出ない方がおかしいだろう

もう一つには、最初からテーマ別に分類したため、書くときにメモに枠をはめる、あるいは枠に合うものを選び出すという恣意的な作業が入ったことがあるのではないだろうか

これは自分が最も嫌うものだったのである

なぜそうしたのかは分からないが、体質に合わないやり方で始めていたことになる



このような分析をして、このサイトは普通のブログのように思いついたことを書き連ねることで再生を図ることにした

その昔、メインブログに伴走するように書いていた「科学・医学・哲学を巡って」のようなものをイメージしながら

そう決めた途端、心が軽くなっているのを感じることができた

ただ、これからどうなるのかは、前回同様、全く予想ができない















2025年6月7日土曜日

シオランの言葉をもう少し



























今日もシオランの言葉を少々

フランス語ブログ UNE VIE PHILOSOPHIQUE À PARIS(2007-2016) にあった以下の記事から




もちろん、わたしは何もしない
ただ、時間が過ぎていくのを眺めている

それは、時間を埋めようとするよりも良いことなのだ

 

 

自然の視点からものことを見ると、人間は外側に向けて生きるようにできている
自分の内側を見ようと思えば、目を閉じ、努力することをあきらめ、流れから離れなければならない
われわれが「内的生活」と呼ぶものは、生命活動の鈍化によってのみ可能となる遅れてくる現象であり、「魂」というものは臓器の適切な機能を犠牲にしてのみ出現し、開花することができたのである
 

 

わたしはこれまで、明白な欠点を十分に具えていない、興味深い頭脳の持ち主に出会ったことがない

 

60歳のときに知っていたことは、20歳のときにも知っていた
40年に亘る長い、余計な検証作業・・・



これからパスカルのように読んでいきたいものである

 





2025年6月6日金曜日

シオランの声を聴く


































昨日のフィルムに触発され、これまでのシオラン関係のブログ記事を集めてみることにした

今日は「パリから観る」の2010年9月15日の記事からシオランの声を聴いてみたい



1970年(59歳)

わたしは今まで眠られない夜の憂鬱の中でしか書いたことがない
7年間、全く眠ることができなかったのだ
書くためにはこの憂鬱が必要で、今でも書く前にはハンガリーのジプシー音楽を聴くことにしている
その一方で活力も持っていた
嫌悪と恍惚の間で積極的に悲しみを味わっている

 

わたしは書くのが嫌いで、余り書かなかった
ほとんどの時間は何もしていない
パリで最も仕事をしない人間なのだ

 

40歳でまだソルボンヌに登録していた
学生食堂で食事し、永遠にこの生活が続くことを願っていた
しかし27歳以降の登録が禁止されることになり、この楽園を追われたのだ

わたしはよく読み、休みなく読み直す
ドストエフスキーの全作品は5-6回読んだ
再読したもの以外について書くべきではない

ブッダを近くに感じる
それは彼が真の問題を理解していたからだ

 


1977年(66歳)

ルーマニアが好きだったのは原始的なところだ
もちろん洗練された人もいたが、わたしが好きだったのは文盲の人たち

本は打撃を与えるもの、危険なものでなければならない
読み手の人生を変えるものでなければならない
わたしが書く時には人を激しく非難し、覚醒させることを考えている
新聞を読むように読める本は好きではない
本はすべてをひっくり返し、人に疑問を投げかけるものでなければならない
わたしが書くものの有用性など考えていない
なぜなら、本当のところ、読み手のことなど考えていないからだ
わたしは自分自身のために書いている
わたしの中にある強迫観念、緊張を解放するためで、それ以上のものではない

 

哲学は爆発の形を取った断片としてしか成立しないと考えている
論文のように章立てで論じるのはもはや不可能である
この意味で、ニーチェは優れて解放者だった
彼こそ体系を目指すアカデミックな哲学を破壊したのだから
彼が解放者だと言うのは、その後すべてを語ることができるようになったからだ
今は一見まとまりを持っているように見える本を書く時でも断片的になっている

 

断片的な思考は経験のすべての側面を反映している
それに対し、体系的な思考は一つの側面、点検された側面しか反映していない
それは貧しいものである
ニーチェやドストエフスキーにはあらゆる経験、可能な限りの人間のタイプが描かれている
体系の中では一人の統率者だけが話すのだ
それ故、断片的思考が自由なのに対し、すべての体系は全体主義的になる

 

ルーマニア語で書く時、当然のことながら書いていることを意識しなかった
言葉がわたしから独立していなかった
しかしフランス語の場合、すべての言葉がわたしの意識に降りかかってきた
言葉がわたしの前に、外に、細胞の中にあり、それを探したのだ

 

わたしの人生は退屈に支配されていた
この感情は子供の時からのもので、本質的なものだ・・・
何も興味を引かず、何も意味を持たない状態だ
この感情が繰り返し訪れた
人生において真剣なことは何もやることができなかった
本当のところ、わたしは激しく生きてきた
ただ、存在に溶け込むことができなかった
わたしの辺縁性は偶然ではなく本質的なものだ・・・
無用であり、利用することができないことがわたしの夢だった
退屈のお蔭でこの夢を実現できたのだ

・・・わたしは覚醒させるために書くアウトサイダーにしか過ぎない


Cioran, Entretiens (Gallimard, 1995) より








2025年6月5日木曜日

久し振りにシオランの魂に触れる




寝る前にYoutubeを覗くと、懐かしい名前が出ていた

エミール・シオラン(1911 - 1995)

この名前を知ったのはフランスに渡る前年の2006年夏

フランス語を始めて5年目、東京で知り合ったフランス人との会話の中でのことであった

その経過は、最初のブログ「フランスに揺られながら」に残っている

 エミール・シオラン EMIL MICHEL CIORAN(2006-08-04)


久し振りに見てみることにした

これはその昔にも見たような気がする

この雰囲気がいかにもフランスものという感じで、フランスの世界に入ってからしばらくの間は強い違和感を覚えていた

しかし、ある時を境に、自分の中で思索を刺激しているのに気づくことになった

このところ離れていたので、新鮮であった

このフィルムにあった言葉で印象に残ったことを記憶を頼りにメモしておきたい


ルーマニアからドイツを経てフランスに入り、ソルボンヌに登録したが、彼は人生の最後までその状態でいたかったと言っている

わたし自身、大学院生の時はそうできれば最高だと思っていたので、よく分かるという感じだろうか


幸福などあり得ない


人生に意味などないということが、唯一の生きる理由である


書くということは垂直の対話、神と会話することだという

孤独なもの同士の会話、神は自分よりずっと孤独だろうが 

 

必要性の欠如(文學など)

 

パリでは30年間本が売れず、無名だった 

当時、200~300冊しか売れなかったものが、今一番読まれているという


祖国とは言語である

 

わたしは矛盾の中で生きてきたが、何の苦痛も感じなかった

もし体系的な人間だったら理由付けをしなければならないので、嘘をつかなければならなかっただろう 

 

また読みたくなってきた