2025年8月20日水曜日

もうそうなるのかというある気づき、あるいは時間というもの


































1989年から2007年までの18年間は東京で科学研究をしていた

2007年に思い立ち、フランスでの全的観想生活、言葉を換えれば隠遁生活に入った

そしていま、18年が経過しようとしていることに気づく

つまり、数字の年数を比較すれば、科学研究の時代と同じ期間、隠遁生活をしていたことになる

この事実を前にして、いろいろな感慨が巡る

科学研究をしていたのは、それほど長い間ではなかったのか

あるいは、そんなに長く隠遁生活の中にあったのか

ただ、時間の捉え方がこの間大きく変わってきたので、このような感慨は今のわたしにとって本質的なものではない

この変化の源を辿れば、2007年1月の山手線での閃きに突き当たる

「医学のあゆみ」のエッセイでも『免疫学者のパリ心景』でも取り上げたが、その時慌ててメモしたものには以下の言葉があった

いまを生きている自分

これまでに在ったいろいろな自分

普通は昔の自分を遠くに置いたまま

時には捨て去り、それとは別の自分を生きている

それが忙しく現実を生きるということかもしれない

しかし、それが最近変わってきているのではないか

一瞬そんな思いが過ぎった

それはこれまでに在ったすべての自分を現在に引き戻し

彼らと話をしながら生きている、あるいは生きようとしている
そんな感覚である
そのすべてを引き受け、そのすべてが求めるところに従って歩む
そうした方がより満ちた人生になるのではないか
そんな想いが静かに溢れてきた

この時に気づいた新たな空間がその後の年月を経てさらに広がり、茫洋としたものになってきた

包摂力を増したとでも言うのだろうか

それをできる限り拡大すれば、宇宙にもつながるものになりうるのではないか

そんな予感さえ生まれている

そのため、直線的に流れる時間の中にいた時にはあり得なかった、これまでの出来事がそのあたり一面に散らばっているというイメージなのである

そこには古い新しいがない

これまでの時間がひとところに集まっている、あるいは身の回りに広がっていると感じられるからだろう

それはなかなか良い感じなのである










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