1989年から2007年までの18年間は東京で科学研究をしていた
2007年に思い立ち、フランスでの全的観想生活、言葉を換えれば隠遁生活に入った
そしていま、18年が経過しようとしていることに気づく
つまり、数字の年数を比較すれば、科学研究の時代と同じ期間、隠遁生活をしていたことになる
この事実を前にして、いろいろな感慨が巡る
科学研究をしていたのは、それほど長い間ではなかったのか
あるいは、そんなに長く隠遁生活の中にあったのか
ただ、時間の捉え方がこの間大きく変わってきたので、このような感慨は今のわたしにとって本質的なものではない
この変化の源を辿れば、2007年1月の山手線での閃きに突き当たる
「医学のあゆみ」のエッセイでも『免疫学者のパリ心景』でも取り上げたが、その時慌ててメモしたものには以下の言葉があった
いまを生きている自分これまでに在ったいろいろな自分普通は昔の自分を遠くに置いたまま時には捨て去り、それとは別の自分を生きているそれが忙しく現実を生きるということかもしれないしかし、それが最近変わってきているのではないか一瞬そんな思いが過ぎったそれはこれまでに在ったすべての自分を現在に引き戻し彼らと話をしながら生きている、あるいは生きようとしている
そんな感覚である
そのすべてを引き受け、そのすべてが求めるところに従って歩む
そうした方がより満ちた人生になるのではないか
そんな想いが静かに溢れてきた
この時に気づいた新たな空間がその後の年月を経てさらに広がり、茫洋としたものになってきた
包摂力を増したとでも言うのだろうか
それをできる限り拡大すれば、宇宙にもつながるものになりうるのではないか
そんな予感さえ生まれている
そのため、直線的に流れる時間の中にいた時にはあり得なかった、これまでの出来事がそのあたり一面に散らばっているというイメージなのである
そこには古い新しいがない
これまでの時間がひとところに集まっている、あるいは身の回りに広がっていると感じられるからだろう
それはなかなか良い感じなのである
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