2025年10月30日木曜日

カフェ/フォーラムの準備とエセーのまとめ
















このところ、カフェ/フォーラムの準備をしているが、いつものように直前まで当たることになるだろう

それと並行して、これまでのベルクソンカフェで取り上げた哲学者の思想をテーマにしたエセーをまとめている

ベルクソンカフェを含めたサイファイ研究所 ISHEの活動についても簡単に触れている

ここに来てその姿が見えてきたので、遠からず日の目を見ることになるのではないかと思っている


今日は午後から、ランドネがご趣味の方の案内で、何十年振りかで昭和公園を訪れた

ほとんど座っているのが日常なので、かなり歩かされたという感じである

幸い、それほど体には堪えなかったようだ

広い空間が広がっているので、中には瞑想などに使えそうなところもあった

その気になった時の候補の一つに入れておくことにしたい









2025年10月26日日曜日

トランペット アンサンブル J Four の演奏を楽しむ

 



日曜の朝


Youtubeで流れてきたこの演奏を聴くことにした

このところなかなか受け付けなかったトランペットだが、昔から気に入っていた教会でのオルガンとの共演を楽しむことができた

以前に聴いていたものとは違う文化的な背景も新鮮に感じたのかもしれない

どこかに旅をしたような、久しぶりに晴れやかな気分になった


お楽しみを!








2025年10月25日土曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(13)




第2章では自然哲学と自然学、自然主義、実証主義との関係が論じられるようだ

今日は第1節「自然哲学と近代自然学」の中から、気になったところをメモすることにしたい

近代自然学はプラトン主義の一種の復権、復讐だという

アリストテレスは感覚器官を通して自然を描くが、それはデカルトが「混乱した観念」というように、真の本性を認識しない

本来的存在との出会いは、感覚の世界ではなく、知性的・数学的世界において成される

ガリレイは、数学は人間理性が神の理性と出会う十字路を成していると言う

そこにおいて、神と同じだけの明白さと確実さをもって世界の本性を明らかにできると考えられる

それゆえ、数学の哲学が確実なものとして出現できたなら、それは唯一真実の自然の哲学を獲得できただろう

しかし、そこに実用主義的精神が侵入してきたのである

デカルトはガリレイの実用主義を告発している

ガリレイは数学的方法を用いて、若干の演繹はするが、原因と原理の考察にまで遡らなかった

プラトンを忘れて、実用主義を選んでいるというのである


ニュートンは、次のようなことを言っている
数学と自然哲学のあらゆる難問においては、分析によって行う方法が総合に先立つべきである。この方法は、経験と観察から成り立っており、それらから結論を帰納する際には、常に確証される事実を問題としていなければならない。なぜなら、単なる仮定は自然哲学には存在しないからである。反対に、分析によって、構成されるものから構成するものへ、運動からそれを生む力へ、一般に結果から原因へ、さらに個別的原因からより一般的な原因へと処理するのである。総合はその後から介入することによって、発見された諸原因から諸現象の説明を演繹するためにそれらの原因を原因とするだけである。

 現代の科学者であれば、納得できる内容ではないだろうか


ニュートンは、技術よりも哲学に留意し、手先の力ではなく、自然の諸力について書き留めるとして、自らの努力と認識を技術者や職人の実用主義的知と対立させている

しかし、オーギュスト・コントは、科学的経験は本質的に技巧であるという

なぜなら、科学的経験は諸現象の考証を容易にするために、人為的状況の中に物体を置くことによって、自然の状況の外で観察するからである

天文学などの一部の近代科学は、自然哲学の伝統に沿い、古代の知者と同様、自然を真に発見した

他方、近代科学は自然の諸条件から遠ざける機械論的精神や技術的関心の虜になり、技術主義に走っているのではないか

さらに専門化は、われわれの精神を細部に閉じ込める

ベルクソンはこう言っている
近代科学が実験的方法を創始したことは確かである。けれどもそのことは、近代科学がそれ以前に研究されていた経験の領域をあらゆる方面に拡大したという意味ではない。全く反対に、近代科学は経験の領域を一つならずの点で狭めたのである、しかもそれが近代科学の力となっている。

これも納得させられる言葉である

 

 





2025年10月18日土曜日

第15回サイファイカフェSHE札幌、盛会のうちに終わる























本日は、15回目になるサイファイカフェSHE札幌において『免疫から哲学としての科学へ』の読書会を開催した

不手際があったものの、幸い7名の方の参加を得て充実した会になったと思う

今回はまず、ヒトやマウスのオーガニズム・レベルでの解析が最近明らかにしたことを振り返った

その結果、これまでは明瞭だと思われていた免疫システム内のサブシステム(自然免疫と獲得免疫)間の境界や免疫システムと他のシステム(特に神経系の例が提示された)との境界が曖昧になり、相互に親密な交流があることが見えてきた

つまり、オーガニズム全体で免疫という機能を発揮しているというイメージである

その後、細菌からヒトに至る生物界における免疫について検討した

その結果、免疫システム(基本的な機能は外敵からの防御と考えられている)は細菌からヒトに至るすべての生物に存在すること、しかしその構造やメカニズムは種によって大きく異なることなどが明らかになった

つまり、免疫は生物としての条件になっている可能性が示唆される


さらに、免疫を構成する要素を分析すると、認識、情報処理、適切な反応、その記憶という4つの過程があり、これはそのまま神経系の主要な機能要素と重なってくる

このことから、免疫の本質には認知機能があると考えられた

その場合、細菌には神経系がないので、免疫が最古の認知機能を担っていると言えるのではないかというところで終わった

会の詳しい内容は、これからサイトにまとめる予定である

訪問していただければ幸いである













































懇親会は今年の打ち上げという雰囲気で、話も盛り上がっていたようである

わたし自身の仕事についてもいくつかのサジェスチョンをいただいた

また、12月に開催されるサイファイ対話CoELPの生命倫理に関するお話を札幌でも聞いてみたいという声も聞こえてきた

多くの課題を抱えることになった今年最後のカフェ札幌であった



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mardi 21 octobre 2025


これまでに以下のようなコメントが届いている
参加された皆様に改めて感謝したい


◉ どうもお疲れさまです。免疫の有無が生命体の定義にできそうなことに気がついたのは、大きな収穫でした。それで、Google Geminiと対話してみたら今回のカフェの内容に近い話が沢山出てきて、夜更かししてしまいました。


◉ おはようございます。昨日は久しぶりに楽しい時間を過ごし、リフレッシュすることができました。意識の問題は特に興味深く感じました。学生時代に購入して読まずにいた品川嘉也氏の『意識と脳』の序文に大谷卓造先生(京都大学の生理学者)の「意識とは外界から区別されるものとしての自己に関する意識である」という考えが紹介されていました。また4月にお会いするのを楽しみにしております。


◉ いつも素晴らしい会合を作っていただき、ありがとうございます。研究会での免疫の話は、門外漢のため詳しい点は分かりませんが、事実を捉える視点は、他の科学の研究成果を考察する上での大いなる示唆になるように思います。また、懇親会の席では、個人的な事も含め日常の生活の中で感じていることの交流が行われ、研究会と同じように実りあるものでした。このような大学のゼミを思い出させるような研究会は、札幌では貴重であり感謝しています。


◉ 有意義なレクチャーと懇親会、ありがとうございました。細菌・アーキア(“原始生物”)から顎口上綱(”高等生物”)に亘った最新(~2023年)までの免疫学的知見を展開頂きました。2時間では頭がついていけない程の濃い内容でした。その中で最古の認知・免疫システムかつラマルク的遺伝も示唆するCRISPR -Casシステムに以下の疑問が湧きました。十分に古い他の”自然免疫”の多くはその相同・相似システムとしてヒトでも機能しているのに、なぜCRISPR -Casシステムは早くから”進化”の過程で消滅してしまったのか? もしCRISPR-Casシステムが進化過程でラマルク的遺伝形式とともに存続すれば、現在の地球上の生物はどうなっていたのか?(破滅? 両極端な進化と退化?--)次回はMOSが主題となりそうで楽しみにしています。


 白いものがいつ混じってもおかしくない、そんな冬の到来を肌で感じる小雨降る週末の夕方から会が始まりました。日常の生活とは異なった次元の会への参加を待ち侘び、そして実際に会が始まったことにやや興奮気味の8名の参加者(+矢倉先生)の自制した静けさで今回も始まりました。

オーガニズム・レベル、つまり個の枠内での免疫システムとして考察するところから始まり、後半は生物の進化の過程を免疫系を軸に改めて考える試み、つまり生物界に遍在するシステムとしての免疫系の省察の試みであった。暫定的ではあるが、免疫系を構成する4つの機能的要素である、認識、情報統合、反応、そして記憶という4つの要素を座標軸にしつつ、進化の過程での先天免疫、獲得免疫の再省察を通して、免疫系そのものが生命の基本ではないのかとの想像にも到る。蛇足だが、細菌の持つ防御システム、例えば侵入するファージDNAに対する防御機構としてのDNA切断制限酵素、そしてCRISPR-Casのシステム。それら細菌の持つ生命維持メカニズムを応用した形の遺伝子改変技術により現代の我々の生命科学研究が大いに推進していることの偶然さにも感嘆仕切りである。

認識、情報統合、反応、そして記憶といった要素から生物現象を振り返った場合、そのコンポーネントは神経系の構成要素と完全に重複しあうことに気づく。逆説的に、神経系で観察される情報の処理記憶の区分け、例えば意味記憶とエピソード記憶では記憶、そして追想といったプロセスに差異があることが、近年の認知症研究で知られている。そして、近時記憶と長期記憶での保持能力といった視点での認知症解釈もよく知られているところである。そういった神経系のもつコンポーネントを軸に、免疫現象を再度考え直すことも有用ではないのかとの夢想が浮かんでいる。新型コロナウイルスとそのワクチン効果など、若年者と高齢者の有効性や免疫記憶への効果など、神経系のコンポーネントからの再考察も免疫系のもつコンポーネントの新たな発見への繋がるのではないか、そういった妄想とともに来春の会への思いを抱え、雨の中で帰路についた。


◉ 10月18日のサイファイカフェSHE札幌に参加させていただき、ありがとうございました。私の頭の中にある「免疫」の大地の地平線を大幅に拡げてくれた、素晴らしい内容でした。

私なりに乱暴にまとめますと、
① 「免疫」=「生命」: 現存している生物は必ず免疫系を持っている。言い換えれば、免疫系がなければ生命は存在し得ない。
② 「免疫」=「神経」: ほぼ同義である。免疫系を持つということは、神経系を持つということである。
③ ということであれば、ユニークで優れた免疫系を持つ細菌や植物は、各々ユニークで立派な神経系を持っていると考えられる。
④「神経系」は、「意志」や「魂」といった精神的要素をも含む。
⑤そうであれば、細菌や植物も強い意志や崇高な魂を持っていると考えられる。

細菌や植物は、どんなことを考え、どんなことに笑っているのだろうか。妄想が膨れ上がるのを楽しめた会でした。次回も是非参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。












2025年10月9日木曜日

ミシェル・アンバシェ『自然の哲学』を読む(12)



中断があったが、改めて第2章「近代の自然哲学.自然学者.自然主義者.実証主義者」に入りたい

今日は、この章のイントロについて


17世紀中葉には、これまで扱ってきた「自然」の概念は消滅傾向にあった

デカルト(1596-1650)は『哲学原理』のなかで、機械的技術の生産と自然の生産は同一であると見なしている

さらに、それまであった「自然哲学」と「自然の哲学」の区別を根底から覆すのである

そして、「自然」がその古い意味――女神だとか、何か想像的な力を指していた――から、質料そのものを指すために用いられるようになる

デカルト流の機械論者、合理主義者には、「自然」という観念は神話臭を帯びていたのである

彼らは「物理学」とか「自然科学」という呼称を用いるようになる

しかし、「自然哲学」は、自然学にとって、自然主義にとって、あるいは実証主義にとって異なる関心事となっていかざるを得なかった

これから、自然哲学とそれぞれの分野の関係を見ていくことになるようだ









2025年10月7日火曜日

祝: 制御性T細胞にノーベル賞





昨日、ノーベル生理学・医学賞の発表があった

拙著『免疫から哲学としての科学へ』から引用して坂口志文博士への祝意を表したい

免疫反応の効果を高めるヘルパー細胞や標的細胞を殺傷するキラー細胞とは異なり、免疫反応を抑制して全体の調和を図るように作用する第三の細胞として制御性T細胞は存在している。免疫はその本質として生物学的極性のバランスをとるという規範性を伴う機能を有しているが、この細胞はそこに深く関わっていると見ることができる。(p. 105)






 

2025年10月5日日曜日

リマインダー: 秋のカフェ/フォーラム・シリーズのご案内





秋のカフェ/フォーラムの予定が以下のように決まりましたので、お知らせいたします



◉ 第15回サイファイカフェSHE 札幌

2025年10月18日(土)15:00~17:30
京王プレリアホテル札幌会議室


『免疫から哲学としての科学へ』を読む(3)
オーガニズムレベルと生物界における免疫を見渡す



◉ 第12回ベルクソンカフェ
2025年11月5日(水)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室


マルセル・コンシュの哲学(2)
『形而上学』の「まえがき」と「プロローグ」を読む



◉ 第15回サイファイフォーラムFPSS
2025年11月8日(土)13:00~17:00
日仏会館 509会議室


(1)矢倉英隆: シリーズ「科学と哲学」⑨
カール・ポパーによるプラトン批判
(2)尾内達也: 時間論の起源とTime being-Labour being Theory
(3)久永眞一: 妄想と幻覚の正体?



◉ 第13回カフェフィロPAWL
2025年11月12日(水)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室


『免疫学者のパリ心景』を読む(2)
この旅で出会った哲学者とその哲学
ファシリテーター: 岩永勇二(医歯薬出版)



◉ 第22回サイファイカフェSHE
2025年11月14日(水)18:00~20:30
恵比寿カルフール B会議室


『免疫から哲学としての科学へ』を読む(4)
免疫の形而上学



◉ 新企画: 第1回サイファイ対話CoELP(哲学者との生命倫理対話)
2025年12月6日(土)14:00~17:00
東京ウィメンズプラザ2F 第2会議室 B


講師: 中澤栄輔(東京大学)
生命倫理の問題を考える――いのちの終わりの倫理



興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

よろしくお願いいたします












2025年10月1日水曜日

改めて、ブログ「フランスに揺られながら」から20年


























すでに触れているが、最初のブログ「フランスに揺られながら」のプラットフォーム goo のサービスが11月で終了なるとのことで、5月に Hatena Blog に記事を移した

このブログを始めたのはフランスに渡る2年前の2005年2月なので、今年で20年が経過したことになる

当時は気づいていなかったが、それはわたしの思索生活の始まりを意味していた

今振り返ると、この20年は一つの塊としてそこにある

もう少し具体的に言うと、それ以前のように出来事が下の方にどんどん堆積していくというイメージではなく、一つの同じ平面に散らばっているという感じなのである

そのため、視点を少しだけ上の方に移動すれば、その全体を眺望できるという状態になっている

過去が埋もれてしまわないとも言えるだろう


トルストイ(1828-1910)は、意識的に生活するようになってからその人間の人生が始まると言った

もしそうだとすれば、わたしはやっと成人したことになる

随分と遅い誕生ではあったが、それを支えていたのがブログ「フランスに揺られながら」だとすれば、感慨深いものがある

幼少期の記録がそこにあるとも言えるのだが、基本となる考えの芽はすでにそこに表れているような気がしていた

Hatena Blog は読みやすいので、折に触れて読み返し、確認したいものである