2025年2月25日火曜日

サイファイカフェ/フォーラムの内容が絡み合ってくる


























春のカフェ/フォーラムが来週に迫ってきた

現在、その準備をしているところである

その過程で、全く意識せずに決めているカフェ/フォーラムのテーマが相互に絡み合いを見せてくる

これはいつからか気づくようになったことだが、その程度が増しているように感じる

このような発見は大きな喜びをもたらしてくれる

一つには、これまでの蓄積がそのようなつながりに対して敏感にしているのかもしれない

これを切っ掛けに、さらに深掘りすべき問題も浮かび上がってくる

これからに向けての力を与えられているような気もしている



例えば、FPSSにおいて、哲学と科学が自然をどのように見てきたのかというシリーズをやっている

今回はプラトンを取り上げる予定である

彼はこの世界を具体的なもので説明しようとする人たちと、超越的な存在を認めて自然を説明しようとする人たちがいることを指摘し、前者を不敬虔な人たちと形容している

おそらくプラトンが初めて指摘したこの対立は、21世紀の現在もそこにあるわれわれの問題でもある

ベルクソンカフェで取り上げるフランスの哲学者マルセル・コンシュは、この問題についてもコメントしている

この哲学者については、カフェフィロPAWLの中でも話題になる予定だ


われわれが存在している宇宙はどうなっているのかというテーマは、現代物理学のものでもある

これは、科学と哲学が交わる一つの大きな領域になるのだろう

サイファイカフェSHEで読む予定の拙免疫論をさらに展望すれば、この自然をどう見るのかというところに向かう

免疫が形而上学化された後に広がるその世界もまた、壮大なのである











2025年2月21日金曜日

日本の鎖国性
































このところ(と言うかいつもなのだが)、外形的には単調な日々が続いている

午前中はぼさーっとして考えを巡らし、午後からは集中の時間を取り、寝る前の数時間はリラックスするというのが形になってきた

そして眠りに入る30分ほどをその辺にある本を取り出しての読書に充てている

一昨年の暮れに偶然始まり去年のパリ行きまで続いたのだが、パリから戻りすっかり忘れていた習慣である

それが昨年末に蘇り、今も続いている

これまでシェリング哲学についての論評を読んでいたが、全くと言っていいほど反応する言葉に出会わなかった

やはりシェリング本人の声を聴く方が先だろう

ここ数日は、鶴見俊輔の『戦時期日本の精神史 1931〜1945年』をパラパラとやっていた

昨日のところには、日本の鎖国性という問題が出てきた

島国という物理的な条件から生まれた自己完結性

周りの人は皆、遠い親戚という感覚

鎖国がそれをさらに増強したかもしれない

しかし、この傾向は開国した後も続いている

ある現象を見た時に世界を視野に入れて考えることが、インテリの間でも少ない

それから、外国人と対した時も相手に自分の考えを理解してもらおうとする能力が欠如しているという

説得して相手を共に歩ませることが苦手なのである

それは戦時中、外国の土地に入った時にも見られたようだ



自らを振り返れば、最初にアメリカに行った時、20代のわたしは自分を説明できないことに戸惑った

それまで、周りの人はほとんどが同じ背景を持っており、違った部分は非常に限られていると勝手に想像していたからかもしれない

自分を説明するというような頭の使い方をしたことがなかったのである

第三者が存在しない環境だったのである

それ以来、この存在をどのような枠組みに入れて語るのかということが一つの問題になった

違う環境に入れば入るほど、枠組みの取り方がいろいろ変わってくる

その幅が増えるほど、理解する力や受容する力も上昇するものと思われる

確かに、意識の中に第三者がいない状態においては、言論が家の中でのお話のようになってくる

日本の言論空間を見ていつも感じるのは、他者(親戚や世間を超える)が見ているという感覚の欠如と言えるものである

これは、今でも続いているという鎖国性とどこかで繋がっているような気がしている









2025年2月13日木曜日

天空から現象界での日々へ















前回の記事でも触れたが、このところ現実世界でのプランがいくつか浮かび上がり、どのように対応するのかを考える時間が長くなっている

それまでは天空での時間をいかに充実させるのかだけを考えていればよかったのだが、現実が絡むのですんなりとことは進まない

と同時に、こちらの感じ方も日々変化するので、なかなか大変である

それがはっきりしないと気分も落ち着かないのである

現実に生きている方たちはさぞ大変な日常ではないかと同情を禁じ得ない

まだ具体的な姿は現れていないが、いずれ見えてくるような予感はしているのだが・・・


そんな中、春のカフェ/フォーラムの準備と並行して、コンシュの翻訳も進めている

そろそろ、カフェ/フォーラムに集中することになるのではないだろうか

皆様の参加をお待ちしております






2025年2月9日日曜日

春のカフェ/フォーラム近づく

































すでに2月に入って時が経ってしまった

このところ、現世においてやるべきアイディアがいくつか出てきて、どうするかを考えていた

その姿が見えてくる時は来るのだろうか

こういうことを考えている時には天上の世界が遠のき、己の日常がかなり異常に見えてくる



それと同期するように、ISHE研の春のカフェ/フォーラムが近づいてきた

プログラムはこちらから

これは地上に戻り、リアルな意見交換をする時が近いということである

それに向けて具体的な準備を始める時がきた

その過程で注意したいのは、どれだけ深い読みができるのかということになるだろう

これまでにも増した深さを求めたいものである

そして、今回はどのような発見があるのだろうか

期待して待つことにしたい