これは何かをしようとする時に目的を持つというような意味合いではない
もちろん、それも志向性の一部ではあるのだが、、
「志向性」とは、それ自身を超えて指し示すという意識特有の現象に対する言葉である
語源的には、「弓を弾く」あるいは「標的を狙う」という意味のラテン語 intendere に由来する
狭義には、対象に向かうものとしての志向性を指すが、広義には、世界に開かれていること、あるいは他者であること=他者性(alterity)を意味する
いずれの場合も、意識が自己に閉じていることを否定している
「対象に向かう」における対象とは、元々は我々の前にあるものという意味である
自身を超えたところにあるものを意識することが、狭義の志向性で、対象となるものは身の回りにあるものでも、過去の出来事でも、未来のことでも、あるいは存在しないものについてでもよい
日常に感じる感情や感覚、気分のようなものは対象に向かう志向性とはなりえない
ただ、その感情や気分が世界に開かれている場合には――例えば共感など――広義の志向性に入るものがある
現象学において、志向的経験は心的行為(mental acts)と記述される
その行為は内省など内的に閉じているものではない
また、主体と対象とが分れているのではなく、関係性の中にある
志向性は、相関関係にある(correlational)――主体の行為と対象とを一体として捉えられる――と言われる
フッサール(1859-1938)の現象学では、対象に当たるものをノエマ(noema)、対象に向かう心的行為をノエシス(noesis)と呼ぶ
ここで、現象学が言う志向性と、心の哲学が言う「心的表象」(mental representation)の関係を見ておきたい
心的表象とは、意味の性質(内容、真理の条件など)を伴う心的構造(概念、思想、映像など)のことで、通常、認知の対象ではなく、それによって認知したり、世界における何かを認識するものを指す
両者の違いは以下の点でも見られる
現象学における志向性の経験は、内容を持った状態ではなく、方向性を持つ行為であること
現象学における re-presentation は、今は存在していないものを心的に呼び覚ますという心的行為に限られること
このように、現象学においては、感覚による受容を示す presentation と re-presentation は明確に区別される
